2週間前に搭乗した羽田発那覇行きのJAL最終便が遅延しました。
今日はその交通費の清算をしました。
リタイア後、飛行機遅延のトラブルに遭遇するのは初めてです。
海外出張が多かったサラリーマン時代、海外の航空会社は頻繁に遅延していたので、遅延自体はどうと言うこともありません。
当時は、遅延で旅程が変更になっても費用は会社負担です。金銭面というよりは遅延で時間を失うことや体力消耗することが問題でした。
今回、そうしたトラブルに対する感じ方の違いについて記します。
トラブル時の費用補填の妥当性が気になる
JAL925便は羽田を20時に出発し22時50分に那覇空港に到着します。到着後はホテルまでモノレール(ゆいレール)で移動予定でした。
今回、実際のフライトは45分遅れです。JAL側のオペレーションの理由でした。
23時35分にゲートに到着しましたが、既に最終電車は間に合いません。ホテルまでタクシー移動だと2000円ほどかかるかもしれません。
出張であれば会社負担なので気にはしません。ごちゃごちゃもめるより体力温存。タクシーで移動します。
ですが今回、2000円の出費ということよりも、JALの事情で遅れたことを自己負担させられるのか?という妥当性が気になりました。
結果としては交通費はJALが負担しました。
当然といえば当然です。
航空会社側に起因する遅延の場合、交通費やホテル代など、航空会社や条件によって違いはありますが、一定金額まで補償されるのが一般です。
LCC (*)ではなくJALを選んでいる理由も、こうした安心のためです。
*LCCでも費用負担する会社もあれば負担しない会社もあります。
なお、天候などの不可抗力の理由で遅延した場合は航空会社による補償はありません。
今回、那覇空港に到着すると、ゲートでJAL職員が遅延対応の紙を配布していました。
上限1.5万円の交通費(タクシー代)を請求できるという手続きを記載した案内文です。
後日、その案内文の通り、タクシーの領収書を添付して送付しました。簡単な請求手続きでした。
定時運航率は大事である
仕事での出張移動も、リタイアした今も、基本は定時運航率の高い航空会社に乗ってスムースな移動をしたいものです。
海外での飛行機移動で最も酷かったのはインド国内線です。
機材の使用時間効率を高めるためか、ゲート到着から再出発するまでの時間が異様に短いです。
つまり、到着機材が遅れれば、それを使って出発する便が遅れる連鎖です。
夕方遅い便になればなるほど、こうした遅延に遭遇する確率も高くなります。しかも1時間や2時間遅れも当たり前で、それを見込んで計画することが大事でした。
一方、国土交通省の発表する2022年のデータでは、JALの定時運航率は94.5%です。
日本は飛行機も鉄道も時間管理が素晴らしく、移動のストレスは少ないものです。
これはたとえリタイアして時間に余裕のある身とはいえ大事なことです。
JAL国内線で遅延に出くわす回数が増えた懸念
アーリーリタイア後、マイル修行や不動産投資の関係で羽田と那覇間を頻繁にJAL便で往復しているのですが、この2か月で16往復するなか8回が遅延しています。
理由の大半は「到着機材の遅れ」で、15分程度の遅延です。
先の国土交通省の統計では、出発予定時刻より15分以内に出発した便は定時運航とみなすので、僕が遭遇した15分程度の遅れは遅延に含まれません。
20回に1回、15分を超える遅延に出くわす確率です。
今回のJAL925便の45分遅延は、まさにその1つに当たってしまったということになります。
遅延の原因がやむを得ない理由ならば気にはしない
今回、JAL925便の遅れの原因は、JALホームページの運行スケジュール上は「使用する飛行機の到着遅れ」となっています。
ですが出発前の機長のアナウンスでは、最初は「国際線からの乗り継ぎ客を待つ」と、その後「荷物がシステム上と実際で不一致があり確認している」というものです。
未搭乗者の荷物が機内にあるのは大ごとです。テロのリスクもあります。
こうした正確な情報を通知してくれる点はさすがJALです。そして効率やら利益を優先していい加減なチェックで飛行機を飛ばさず、きちんと時間をかけても解決する、というのは安心できる材料です。
それでも、これがリタイア前の出張であれば「明日の仕事に響くから嫌だな」という気持ちになっていたはずです。
リタイアしたいまは45分遅れは誤差でしかなく、その理由も安全性を確保するための遅延ということならなおさら問題はありません。
終わりに
リタイアしたことで、こうした飛行機遅延のトラブルに対して、その時間的ロスそのものよりも、遅延によって生じるものごとの妥当性や正当性が気になりました。
費用負担などの実害があればその妥当性があるか、時間的な実害が生じたらその理由の必要性があるか、といったことでした。
逆に言えば、仕事が忙しいときは、そうした妥当性やら必要性という細かいことよりもなによりも仕事仕事となっていたのだな、ということを思い起こすきっかけになりました。
このあたりの感覚は個人的なものなので、1つの参考としてください。
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