生きていくなかで、人はさまざまな苦労を体験をします。
家庭、仕事、人間関係、家計、健康、恋愛・・・。
楽しい体験よりも苦労体験こそ、その人の思考や性格に影響をし、またその解釈や対処方法も大きく異なります。
今回、そんな複雑で難しいトピックの「苦労」について掘り下げます。
苦労を理解することで、生きることがより楽になるからです。
苦労の種類は3つある
苦労には3種類があります。①生まれながらの苦労、②生きるうえでの苦労、③成し遂げる為の苦労です。
生まれながらの苦労
生まれながらにして、家庭環境の問題、あるいは肉体・精神的なハンディキャップなど、生きることに苦労を背負いながらのスタートになる人生もあります。
「生まれながらの境遇は選ぶことができない」と頭で理解しても「なぜ自分が?」と恨み、そうした生まれながらの「不平等」に怒りを持ったり、否定的になる人もいます。
一方で、そうした宿命を受け入れて、人生の糧にしたり、違う形の幸せを見い出す人もいます。
生きるうえでの苦労
結婚相手がDVだったり、配属された職場環境や上司に問題があったり、不慮の事故に遭遇するなどで人よりも苦労する人生を余儀なくされることもあります。
自分ではどうしようもできない不可抗力の体験もあれば、何らかの知識や経験、注意や回避行動で未然に防げることもあるのかもしれません。
いずれにしても遭遇してしまうと「なぜ自分が!」という不運を嘆いたり不注意を悔んだりします。
一方で、宿命を受け入れて人生をリセットしたり、価値観を柔軟に変えて幸せに生きていく人もいます。
成し遂げる為の苦労
人生での何らかの目標を持つと、それを成し遂げるために苦労を強いられることになります。
その苦労は「努力」とも言い換えられます。
仕方なく努力を背負う場合にはそれが「苦痛」と感じ、自分の目標達成や成長のために必要だという覚悟の上で背負い込むと「挑戦」となります。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という意味は、そういった「挑戦をせよ」というものです。
職場の上司が「若いうちは苦労を背負って耐えろ」というパワハラに使うべきものではありません。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」のメリット
若いうちの苦労(挑戦)は積極的に買った方がメリットが大きいのは事実です。
成長したい、苦労をしてでも何かを成し遂げたい、という強い思いをもてば、苦労や挑戦もない漫然と生きることでは得られないものが手に入ります。
感動や自信
苦しい体験や苦痛を乗り越える経験をするからこそ、達成したときの感動を味わえたり、自信につながります。
人生の想像力や人間の深み
自分が苦しい体験や苦労をすることによって、苦しみがどんなものかを身をもって理解でき、苦労を想像する力も得ることができます。
苦労を理解できるという人間の深みや洞察力につながります。
共感力やサポート力
人の苦しみを心底共感できるようになり、人に優しくなれたり、人を助けようとするパワーにもなります。
人生にあるひっそり隠れた価値認識
健康を害してはじめて健康のありがたみがわかるように、人間、不足をすることで、充足されていることの価値を感じることができます。
苦労や挑戦で、簡単だと思ったことがうまく行かなくても、「xxxができるというのはこんなに大変なことだったんだ」と、子供が親の苦労を知って感謝するのと同様、当たり前にあることにも感謝や価値を感じる発見ができます。
逞しく生きる力
苦労や挑戦が報われなくても、その体験を自分の成長に意味付けさせたり、失敗から学んだりすることはできます。
自暴自棄にならず、自分も至らなさや失敗を受け入れれば、人生の教訓になったり、そこから新たな挑戦も生まれます。
楽しめる力を増やす方法
自ら苦労を背負うことは、挑戦というものだから、大きなメリットが得られます。
とわかってもいても、人間、やはり苦労や苦痛はしたくないものです。
そこで発揮されるのが「苦労を苦労と思わずに楽しむことができる才能」です。
「苦労の有無」という苦労軸(上半分か下半分か)で物事を見るのではなくて、「楽しさの有無」という軸で(右半分か左半分か)で物事をみる習慣です。
つまり、苦労ばかりに着眼してしまいがちな横軸で切った視界展望をあえて取り除き、上半分か下半分という楽しさの縦軸で切った視界を持つことです。
楽しさの有無に基軸を変わるには
楽しさを軸にするには好奇心や探究心が必要です。
すると、そこに遊び心も生まれてちょっとした余裕も生まれます。
また苦労体験を解釈する時間軸も長期的になります。
長期とは「その苦労が将来どういった自分の成長や価値につながるか」と捉えることで、いまの苦労だけを着目するのではなくいずれ得られる達成感にも目を向けます。
例えるなら、山登りをしている時に、足元だけを見て「大変だ、石がある、崖がある」という目先の状態や危機しか見ない思考の癖を、「頂上にいけばどんな視界が広がるだろう」という長期的目線でメリットや価値を考えながら足元も見るような思考の習慣です。
さて、この4象限のポジショニングは、もともと以下の記事にて紹介しています。
終わりに-苦労をしなければ悪いのか?
こうした苦労や挑戦は、それが嫌ならば無理をして背負う必要はありません。
人によっては「成長することに価値は無い」とか「苦労せず生きるのが幸せ」という生き方を選ぶ人もいるでしょう。
自分が決めた道ならばそれが正解です。
ただ、後悔をしないよう、
死ぬときに自分の人生を振り返って「苦労や挑戦もせずに楽に生きれて最高の人生だった」と心から思えるか?
だけ自問すれば良いと思います。
こうしてちょっとだけ立ち止まって考えた結果、その判断ならば、それが「自分らしい生き方」であり「自分にとって正解」です。
徹底的に「楽に生きる方法」を追及するのも素晴らしいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿