アーリーリタイアをすると「お金との向き合い方」が180度変わります。
「お金を増やす」から「お金を使う」に人生ステージが移ります。
現役時代といえば、毎月の給与収入からせっせと一定額を貯蓄し、それを投資にまわしてきました。そういった「お金を増やす」に取り組みます。
ですがリタイア後は「お金を使う」となります。リタイア時点で資産残高がそこそこあって、仕事をしないので労働収入はありませんが、資産所得で不足する分は預貯金を切り崩して生活するという算段です。
そうなるとリタイア後の目標は「死ぬまでに資産を上手に使い切って、いかに豊かな人生を過ごすか」に変わるのが理想ですが、なかなか心境がついていきません。
今回、こうした「お金を増やす」や「お金を使う」といったステージと、そうした「増やす」から「使う」に方向転換することの難しさ、お金が減りゆくことの不安など、リアルな心境を綴りたいと思います。
お金が減っていく(人生ステージ3)とは
今のステージは、自分でも認識をしているのですが、
ステージ1:お金を貯める:20代
ステージ2:お金を増やす:30、40代
ステージ3:お金を使う:50代(リタイア後)
というステージ3の段階です。
お金を使う、とならないセミリタイア人生もある
投資仲間で、ちょっと違うリタイア組もいます。
彼は不動産投資で生活の半分は仕事っぽいことに時間を使っているのですが、会社に雇われた生活ではないので気楽にセミリタイア生活を送っています。
お金を使っても、結局手残りがあるのです。
いわゆる資産所得が生活費を上まわり、預貯金は減ることなく豊かに生活できるのです。
僕のように資産ピークの山頂からなだらかに右肩下がりとなる資産残高曲線ではなくて、リタイアの山頂からさらに右肩上がりで高い尾根(山頂)にゆるやかに延びる曲線です。
なので、リタイア後に資産が減り続けるかどうかは、人によるものです。
お金が減ることの心の耐性
そうした、資産所得(不労所得)で生活していける友人とは違って僕には「お金が減る」という耐性が必要です。
たとえ試算上は、100歳まで自分の資産が大丈夫なシュミレーションであっても、現実に預貯金が日々減っていくことの実感はやはりアルです。
「日々、試算通りに減っているからいいじゃないか、万全だ!」
そんな心の余裕まではありません。
この余裕のなさの原因は、
・「お金を増やす」という前ステージの感覚から脱し切れていないから
→つまり「慣れの問題」?
・それとも人間、お金が減ることで居心地が悪いと感じる生き物だから
→つまり「人間の特性(=資産減少に不安を感じるのはしょうがない生き物)」?
なのか、実際、まだなんともわかりません。
克服している人もいるかもしれませんが、僕はまだ「お金が減ることが不安」ですし「お金の使う」というステージに感覚がついていけてない気がします。
周囲のリタイア仲間の「資産を切り崩す」への耐性
周囲のリタイア仲間も「綺麗さっぱりお金を使い切る」と言う人は少なく、僕も含め、それぞれちょっぴり不安もかかえ、最低限の資産残高というものも設定しています。
家族構成や感性の違いで「安心となる最低限の資産残高」は個々に異なります。
もちろん、人間はいつ死ぬかはわからないので、想定以上に長く生きれば目標を下回るかもしれませんし、かといって早く死んでしまっては残高が多くなります。
それでも「これだけは持っておきたい」という目標を設定しています。
その残高となるまで「いかに良いお金の使い方をするか」が共通する問題意識です。
最低限の資産残高が早く来る場合への対処
お金を想定よりも多く使うと資産残高がみるみる減ってしまい、最低限の資産残高に早く到達してしまいます。
これを防ぐには、
・少しばかり仕事をする(資産運用などを上手にするも含む)
・生活レベルを落として調整する
といった選択しかありません。
ですがそもそもアーリーリタイアをした目的は「セカンドライフをよりよく過ごす」なので、仕事をしてしまったり、生活レベルを落としては、本来の意図とは異なることになります。
お金とは何か?
自分自身、「お金とは何か」について、まだ見極められていないのだと思います。
見極められていないので、お金(資産残高)が気になる生活をすることになり「自分はお金に囚われて心豊かな生活ができているないのでは?」と本末転倒なことになってしまいます。
だからといってお金を使わずにセーブしていては、お金を稼ぐ努力をしてきたことが報われません。
お金を稼ぐ努力とは、僕に限らず、誰もが受験戦争であったり会社の競争など、身を粉にして働いてきたわけです。
凡人の僕なんか120%の努力をしてようやく人並なので、人が寝ている時にチマチマと努力せざるを得ませんでした。そうした対価として得たお金が使わずじまいでは水の泡です。お金以上の経験も得ましたが、報酬であるお金を使わないでよい、が正解とはなりません。
お金を使うことは奥が深いと思います。
そういったお金との距離感を上手にとって気にしなかったり、あるいは生き物(命)をありがたく頂戴して食するのと同じように、自分で稼いだお金もありがたく頂戴する(=使う)という悟りも必要なのかもしれません。
とても自分では、右肩下がりで減りゆく資産をありがたく感じるまでの悟りまでは道のりが遠い気がします。
しばらく模索してみます。
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