アーリーリタイアをして初めての春を心穏やかに迎えています。
なにしろ現役時代の2月から4月は、会社の「昇級」や「出世」という人生を左右する出来事のある「気を揉む季節」だったからです。
昇級や出世は、正直、いくら仕事で努力をしたからといっても勝ち得ることができるとは限りません。そこには運も大きく左右します。
今回、リタイアした目線で「仕事の努力は必ずしも報われない」という不都合な真実を振り返ってみます。
努力が報われ易いのは会社に入るまで
まったくの個人的な意見ですが、学生時代は努力が実りやすいと思います。日本の受験のように出題範囲が決まっていて知識や記憶が問われる世界では、猛烈に勉強すれば、それ相応の結果になりやすいと思います。
全く努力もせずに難関校に合格できるのは限られた天才のみで、一般には、努力をすれば合格は近づきます。
ただ、難関校に合格したからといって人生が安泰なわけではありません。
せいぜい就活時に、その会社の書類審査の裏側に「学歴フィルター」があるならば、そのフィルターにひっかかって書類審査に通りやすいという程度です。
結局、入社面談に進めば人なりをみられるようにはなります。
それでも、人生のステージで「努力と結果が結びつきやすい」という段階が、この学生から会社に入るまでだと思います。会社に入ると努力だけでは報われない
会社生活での昇級や出世は、そうした学歴は、基本、関係なくなります。
また、いくら仕事で努力をしたからといっても昇給や出世ができるとは限りません。
つまり社会人時代は「努力と結果が必ずしも結びつかないステージ」となります。
でもなぜか僕自身は30代半ばまで「努力すれば報われるのでは」と信じたものです。
それも、自分が評価されるだけでなく、評価したり推薦する立場になるごとに「運が左右する」と実感することが増えました。
運を分解していくと「縁」「潮流」になると思います。
例えば決定権のあるワンマン社長の会社であれば、そうしたトップの意向でスパっと決まる部分もあるでしょう。
大企業であれば、昇格・出世の候補者を各部が出して部門間で横並びに調整をします。
すると評価者の中心人物が他部門を含む候補者をみて「こいつを知ってる、なかなかいいな」という候補者の”顔の売れ具合”や「頑張って仕事している」という”露出の多さ”などで引き上げられたりします。
そうした意思決定者とのつながり、見え方、あるいは推薦者の売り込み方ということに左右されるので、当事者にとっては「人との縁」になります。
もう1つが「潮流」という運です。
たとえば「わが社はこれから女性の活躍が大事だ」という流れなら、候補者のなかで女性が優先して選ばれるものです。必ず、その時々での会社や経営環境のトピックに人事が引っ張られがちです。
「努力すれば報われる」という努力軸とは程遠い「運」が昇給や出世を左右しているのです。「努力は報われないこともある」とは言えないなかで
さて、自分もそうでしたし当の本人も「なぜたいした努力も結果も出していないアイツが昇格して自分は昇格できないのか?」っていうことになります。とても頑張って努力してきたなか「運がなかったね」なんて声をかけることはできません。
出てくる言葉は「(運が味方するまで)努力を続ければ必ず報われるから腐らずに頑張って」という当たりさわりのないものになります。
僕自身も「努力が報われないならやるだけ無駄だ」とまで厭世的にはなりませんでしたが、どこか「そんな都合よくいかないのが人生だししょうがない」と割り切ってやるだけのことをやってみようと思うようになりました。
リタイアした今だから思うこと
そしてリタイアして思うことは、頑張ってもうまく行かなかったこと、回り道をした時間や経験が、妙に、懐かしいのですよね。不思議ですけど。
「悠々自適なリタイア生活を送っているから過去を肯定できるのだ」と思われてしまうと、すこし違うのです・・。
「努力なんて報われない」と投げ出していたら、きっといまごろ「もっと頑張れば自分の人生は違ったかも」と、永遠にモヤモヤが残ったままリタイア人生を過ごしていたと思います。
やって失敗した後悔はいずれ時間とともに対処できますが、やらなかった後悔というのは、人生の残り時間が少なくなるごと、どうもクローズアップされるものかもしれません。
最善を尽くしてやるだけやるほうが、たとえ結果が無駄打ちでも、プラスの意味があると思えます。
それは昇給や出世だけでなく、評価も、自分のやりたい仕事ができているかなど、あらゆる仕事上のものごとにいえます。
ということで、現役世代を日々、頑張っている皆さんに「仕事の努力はたとえ現役時代に無駄になってもに、リタイアというステージに進めば、大きな意味をなすから、頑張ってください」ということをお伝えしたいです。
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