僕がリタイアをしたのは50代半ばです。本来でいう「定年」まで働くよりもほんの少し早くリタイアしたにすぎません。
今回、そんなリタイアのタイミングが良かったのか悪かったのか、について振り返って考えました。
セミリタイアの理由
リタイアを決意したのは「もうこれ以上、働いて得られるメリットはない」という限界を感じていたからです。
メリットとは「やりがい」や「張合い」あるいは「新しいことに出会う刺激」を得られるかどうかです。
仕事がマンネリ化したというよりも、自分でやれることはやりきり、能力的にも可能性的にも限界だと感じたことです。
決して、仕事がラクだったり楽しいばかりではありません。仕事も中学生のスポーツの部活と同じです。
目標があるから苦しい練習も耐えられたように、仕事も目標があって、自分のアイデアを出し切ったり試したりするので、きつい仕事も耐えられたと思います。
仕事も遊びと同じで燃え尽きると「もうこれ以上は無理~」となります。いつまでも会社に居座らずに若い世代にバトンタッチすべきだと思えてきます。
それゆえ欧州勤務から帰国異動となった2022年3月末、タイミングが良かったので退職することにしました。
経済的な理由とはかけ離れたリタイア事情
世間ではもっと経済的理由が退職判断になりがちです。
「一生困らないだけ資産を持つ」とかFIREが成立する資産分界点として「生活費を上回る配当等の資産所得キャッシュフローを得られた」といったものです。
経済的には40代後半でクリアーしていたのですが、そもそも僕のリタイアは経済的理由に左右されることはありませんでした。
これは良い点でもあり悪い点でもあります。
なぜなら経済的にはもっと早くリタイアできたのだから「もっと早くリタイアした方が良かったのでは?」「働いていた分、それは時間の無駄では?」とも考えられます。
経済的自由からリタイアが遅れたことの代償
いまリタイアをして1年が経ったので、「リタイアで得られること」もわかってきた気がします。
経済的自由を得た40代後半にリタイアしていたら、もっと「自由」を満喫できたでしょう。それゆえ、本当に50代半ばまで会社に居座わって良かったのか?と考えました。
個人や会社のカルチャーで違うかもしれませんが、僕にとって、40代後半から50代半ばは会社での立ち位置や仕事の成熟度から「自分の色を出せておいしい時期」でした。
若い頃なら3〜6か月かかる構想も、その時期なら1か月とかからずに物事を動かせたり、品質もスピードも濃い日々を送れます。
なので早くリタイアして自由を得られることよりも、会社人生のその時期に限っては、会社で得られる刺激が大きかったとは思います。
40代後半でリタイアして良かったと思えるとしたら、その過ごし方は?
では、もし40代後半でリタイアして、良かったと思えるような過ごし方は何かと考えると、これは極めて個人的な趣味嗜好の問題ですが、
・セスナの免許でもとって空を飛ぶ日々
・ビジネススクールにでもいって学生っぽい時間を過ごす
とか、そうした形が作れるなら40代後半のリタイアも刺激ある人生だったかもしれません。
ただ、果てして、経済的にも能力的にも自分にできるかは???ですが・・・。
独身だから勝手に人生を生きられる
こう考えると、自分の人生を自分の判断で切り盛りできているのは、少し早く結婚もして、子供も巣立っていて、離婚をしていたからだと言えます。
もし家族があったら違った判断だったのかもしれません。
自分だけで人生の先々を決められるのは、良いことでもありますが、そこには自分の一本線しかないので、二人や家族が歩む道という「厚み」はないのかもしれません。
そういう人生を「孤独だ」という人もいます。
そうした「もし」と考えると、キリがないですね。
結局、いまこうしてリタイア生活に満足できているから、過去を肯定している面もあるかもしれません。
今を大切に生きることが、何よりも大事なことだと思います。
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