投資仲間から「FIREをしたいが失敗が怖くて決断できない」と相談を受けました。
「リタイアをしたあとに生活に行き詰まるかも」「リタイアに失敗したからといって再就職もできないかも」といった不安や怖さでリタイアを決断できないとのことです。
友人は、資産にしろ趣味にしろ十分に持ち合わせています。漠然とした不安がある気持は理解できるのですが、だからといってリタイアの情報や知識をいくら収集蓄積しても進みません。
そこで、僕も同じように不安を感じたこともあるので、自分自身がセミリタイアにステップした後押しとなる心境が何だったかを話しました。
「僕は、実は”リタイアしよう”なんて人生の大きな決断をした感じでは全くなくて、リタイアしても、”その後の人生をなんとかすればいい”と、ちょっとだけ生き方の覚悟をしただけだよ。」と話しました。
ノーリスクを求めていつまでも悩むより、最後は思い切りが必要なのだと、本人も思ってはいるようです。どういう方法で前に進めたかを突っ込んで聞いてきました。
2時間近く話し込んで、本人もすっきりしたようです。きっと近いうちにリタイア仲間になりそうな予感です。
今回、そうした人生の決断について書きたいと思います。
投資もセミリタイアも同じ判断アプローチ
相談に来た友人は投資仲間です。投資との共通点で会話をしてみました。
投資もセミリタイアも、決断できないとしたら「リタイア(投資)判断の結果、どうなるかが不確実で見えないこと」に尽きます。
投資は、いくら不確実なものに投資しても、「その全額を失うとどういった影響が及ぶか」と考えれば、不確実性の範囲も限定できます。
つまり最悪は「全額失ったらどうなるか」を想像すれば、それでも投資が魅力的で受け入れられるならGOと決断でき、受け入れられなければNO-GOと決断します。
これは極端な例ですが、おおかた「決断しない」ということはなく、リスクとリターンに応じてGOかNO-GOの判断します。
友人は「セミリタイアは人生の決断だ、片道切符だ」と大袈裟に考えてしまって、セミリタイアのGOともNO-GOも決断できずにいました。
ですが、セミリタイアは仕事という側面だけみれば片道切符ですが、人生としてはサラリーマンを辞めた段階で「時間」と「自由」を手にして人生を歩めます。
「どこが片道なの?両手に花じゃん?」ということです。
セミリタイアは決断というより覚悟である
「いくら両手に花でも、生活ができないぐらい困窮してしまっては人生を失うことになるから大変だ」と友人は言います。
投資であればお金を失うだけですが、セミリタイアは人生を失うのでしょうか?
仮に、人生において経済的に行き詰まる不安があるなら、それは収支シュミレーションをすればだいたいのところがわかります。
経済面以外に、セミリタイアに失敗して「人生を失うこと」が、一体、何があるのか?ということです。もちろん家族は、大事な要素だとは思います。ですが、会社の看板や肩書、社会的信用といったことは、それほどしがみつくものなのでしょうか?
といったことを話しながら、もう1つ、投資と比べてセミリタイアが優位な点をあげました。
それは、「投資はその投資成否を投資先に依存するが、セミリタイアは自分自身で成否をコントロールできる」ということです。
自分で起業し自分に投資するような形態でない限り、株や不動産などに投資すると、そこからは自分のコントロールではどうにもできません。
そういった他者に成否を依存する投資に比べると、セミリタイアは自分の人生なので、失敗への対処も、生活レベルを下げるなり、自分次第でどうにでもコントロールできるのです。
自分のコントロールでどうにでもなる決断は、決断というより「覚悟」です。
セミリタイアの判断に必要なことは
「万全の準備をしてまでも決断できないなら、最後は覚悟だけの問題。他人に資金を預ける投資と違って、セミリタイアは自分の人生だから、まだコントロールしようがある、と覚悟できるか次第だよ。」
こう話をしたら、明日にでも辞表を出すかの勢いで友人は居酒屋を後にしました。
セミリタイアは「人生の決断だ」と頭で考えて、必要以上にセミリタイアの情報を集めてはリスクフリーの確信を取ろうと時間ばかり浪費する段階ならば、少し考え方の軸を変えて、「どうなっても、最後は自分でなんとかする」という覚悟を持てるかを自問するのも必要かもしれません。
もちろん、覚悟以前に、きちんとリタイアの実現性や自分にとっての有益性をまずは検証することは必要です。それに関連する過去記事はこちらです。
アーリーリタイアの決断を見送ったゲインとロス分析について(40代後半)
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