ある人の自己破産を処理した際、全財産を失っても没収されない資金源で、不労所得となるものがあることに気が付きました。
その資金源とは「公的年金」です。
公的年金があることで、事業に失敗しその連鎖で自己破産にまで至った当人も、なんだかんだ幸せな老後を生きていけたことを目の当たりにしました。
今回は、少しリアルな起業から倒産、そして会社も個人も破産する「全財産を失う道」がどう起きたか、それでも「年金」があることで生き直した様子を記します。
破産のいきさつ
その70代の近親者は50代でアーリーリタイアをして会社を起業しました。
次のように「転げ落ちるように倒産」に至りました。
転げ落ちることとなった「起点」については(★)で記します。
①起業した会社の利益が上がらず資金繰りが悪化する
→資金繰りの悪化とは、買掛金、家賃、金融機関の借入金等の支払ができなくなることです
→金融機関の借入金の支払いが滞ると「会社の倒産」となるので避けないといけません
②会社を倒産させないよう本人(社長)が「個人として会社口座に振込み(貸付)」を始めます
③資金繰り悪化のなか、個人の預貯金が底をつくまで会社に貸し付けし倒産を延命させる(★)
④預貯金が底をつくと個人のクレジットカードでキャッシングして現金を貸付する
⑤キャッシング上限後は、知人や家族から借入をして会社に貸付し延命します
⑥いよいよ「借りる先がない」となった時に支払期日を迎えて倒産となります
破産と廃業の分かれ道
上記の流れの中で、遅くとも「★」である地点で廃業する判断があってしかるべきでした。
個人財産を追加投入し、会社を延命させるというのは、僕からすると「やり過ぎ」と思いました。
もちろん、人によってその状況は違うでしょう。
ですが、
・本人はその時点で70代であったこと
・年金と個人の預貯金で十分に余生を生活できること
・会社延命にこだわる目的は「成功欲」でしかなかったこと
です。
成功欲とは、「成功を手に入れる」「成功をもって人から承認を得る」というものでした。
それを諦めると、本人は敗北者となり自分を見失うかもしれません。だからといって本人の伴侶まで道連れに追い求める価値があるのか?というのが、僕の感覚でした。
こうして、その一線を超え「引き返すことができない泥沼」に足を踏み入れていきました。
本人は「あと少し頑張ればなんとかなる」といった気持ちで、ずるずると進んでいました。
本質的には、「会社を作った時点で出口を定義しておくべき」と思います。
作るばかりで先々考えない、というのではなく、どういった条件や状況となれば会社を廃業させるかといった「出口の条件設定」です。
会社と個人の破産手続き
こうしたいきさつで、僕が会社の破産処理と個人の破産処理を同時に進めることをサポートすることになります。
法テラスに相談し、担当弁護士をつけてもらい、そして破産に関する書類作成から債権者への通知など、淡々と、処理を進めるのです。
手続きがとても淡々とする分、当の本人の悲惨たる状態が際立って僕に伝わってきてしまいました。
借金を多く抱える人は本当の借金額を言わない
破産処理のために「財産目録」や「借入金リスト」などを作ります。
借入先に対して弁護士経由で「破産手続き開始通知書」を送付しなければいけません。
驚くのは、その借入金をリストアップすると、僕が聞いていなかった借入金が次々でてきました。
よく「借金まみれの人は嘘をついて、全ての借金を話さない」というのは事実でした。
僕も「お金を貸してくれ」と何度も依頼されました。その時に聞いていた借金の額とは、大きく違うのには驚きました。
そして今度は自分の資産を書き出してもらいます。
もちろん、わずかな現預金。それも数千円、リストアップするだけです。
「いつか成功させてやる」と夢と共に起業をした人が、こうした「敗北」の結末を迎える表情をみることは、本当につらく、また切ないものでした。
全財産を失う状態とは
全ての財産を失い、精魂も尽きてしまったオーナーに変わり、僕が賃貸先のマンション(事務所)の整理をします。
山手線のターミナル駅近くの小さなマンションの一室を事務所として使っていました。
ここまで追い込まれていたせいか、事務所の書類も荷物も雑多に放置されていて、埃が積もったままの書棚、カビが目立つ洗面台。
そんな都心のマンションの一室で夢をもって過ごしていた場所が、心の乱れを表すかのような「乱れ放題」の状態だったのが、とても印象的でした。
僕は、かなりの日数と手間、そして粗大ごみの処分も費用をかけて行い、ようやくマンションが空になりました。
当の本人にも立ち会ってもらったところ、呆然とした表情でガラガラの事務所を眺めるだけです。
その様子をみて、きっとそれ以上に心は空虚だったのだと、感じ取れました。
それでも人生はやり直せる
ですが、既に70代というのもあって、本人には年金が入ります。
会社員を長く勤めてからの晩年での起業ゆえ、厚生年金としての年金額がそこそこ大きいからです。
全財産は失ったものの、その年金が定期的に入るので、それを使ってささやかな贅沢(安い居酒屋で安い日本酒をちびちびするなど)をしている姿をみました。
どうにか心を取り戻したとは思いました。
それが公的年金の役割でした。
破産時の公的年金の位置づけ
公的年金は「差押禁止財産」です。
金融機関や他人から借金をしていて、その返済ができず、裁判所から財産の差し押さえを受けても、公的年金は原則(*)差押えの対象にはなりません。
まさに公的年金は、そんな悲惨な破産者においては「天使の微笑み」のような慈悲に満ちたお金なのです。
*年金を担保に借入していたり、また税金や保険料などの公租公課については、たとえ自己破産をしても支払い義務が残ります。
終わりに
実はこれは僕の父親の話です。
既に他界していますが、先日、誕生日を迎えてお墓参りにいくなかで思い出した、そんな故人の人生です。
ちなみに、この破産のあと「個人事業主」としてビジネスを継続していたら数年後に大ヒットして大もうけするというハチャメチャな人生を送った人でした。
ただ、お金を持つと人間性が増幅されて、僕との間に軋轢を生んでしまいました。
私利私欲に満ち、承認欲求の塊でお金を持つと、人生を狂わせるという教訓がそこにはあります。いつか機会があればお話しします。
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