たとえ経済的自由や時間的自由を達成しても太刀打ちできない大切なもの、それは「心のよりどころ」です。
心のよりどころがあれば、たとえ経済的自由が少なくても、時間的自由に制限があっても、しあわせに生きれると思います。
今回は、このところ掘り下げている「経済的自由や時間的自由」を、そんな「心のよりどころ」というキーワードで解きながら考えたことを綴りたいと思います。
可処分所得と可処分時間
経済的自由や時間的自由というのは、分かるような分からないような難しい言葉ですよね。
小学生でもわかるように言い換えるならば、それは「自分で自由に使えるお金や時間がある」ということだと思います。
つまりは「可処分所得」であり「可処分時間」です。
可処分所得とは
可処分所得とは、例えばサラリーマンの場合でいけば「給与収入-(社会保険料+所得税・住民税)」となります。
それが、自分で自由に思い描く生活や娯楽のために使うことができるお金です。
可処分時間とは
同じように「可処分時間」とは「自分で自由に使える時間」となります。
時間は誰にも平等に「1日、24時間」が与えられます。そこから仕事や睡眠、家事・育児・介護などの「生活で欠かせない時間」を引いた残りが「可処分時間」となります。
可処分所得も可処分時間も変化する
こうした可処分所得や可処分時間は、育児や介護といったことの有無や、ライフスタイル、また人生のステージでも変化します。
最近の「少子化」や「未婚者増」も、実は「可処分時間や可処分所得を奪われたくない」ということから生まれる問題とも、思います。
FIREをしても可処分時間を活かせない人
世の中には、FIREやアーリーリタイアをしても可処分時間を多く持つことができない方もいらっしゃいます。
例えば育児や介護に時間を注ぐ必要がある人です。
育児や介護で、時間が制限された生活を送っていても、必ずしも精神的に満たされない生活をしているとは限りません。
もちろん、日々で育児や介護に時間が取られ「自分の時間を欲しい~」と強く思うこともあるでしょう。
ですが、大事な家族を養う時間を通じて、「人を支える」ということから精神的に満たされる人も、僕の周囲にも当然います。
結局、可処分所得や可処分時間の多さといったことだけが幸せを作るものではないということです。
大事なことは、そうしたお金や時間の過多よりも、それをどう使うかの目的や気持ちといった精神的な在り方なのだと思います。
経済的自由・時間的自由・精神的自由の相関関係は
そう考えると、経済的自由=お金のゆとり、時間的自由=時間のゆとり、は大事ですが、何よりも精神的な側面が大事です。
精神的自由とは、「=心のゆとり」であったり、「=心のよりどころ」だったりします。
そうした心のゆとりやよりどころが、幸せを決定づける大事な原動力かと思います
最も極端な例を挙げるとしたら、
「お金のゆとり=なし、時間のゆとり=なし、心のゆとり=なし」
という人です。
そんな人がいて、不幸なのか?と考えると、そうとも限りません。
例えば、こんな人がいるのを見てきました。
家庭生活では、お金が不足して大変。懸命に家族を支えようと猛烈に働く。お金のゆとりも、時間のゆとりも、心のゆとりもわずかしかないが、それでも深夜に帰宅してすやすや寝ている家族の姿を見るだけで「心のよりどころ」だと幸せに感じる。
なんていう人です。
そんな頑張れる人って、カッコいいですよね。
その人はきっと、
「お金のゆとり=なし、時間のゆとり=なし、心のゆとり=なし、心のよりどころ=あり」
と自由が3つも制限されていますが、それでも「心のよりどころ」が1つあるだけで、十分に幸せを感じているのですよね。
もちろん理想はこうなるのでしょう。
「お金のゆとり=あり、時間のゆとり=あり、心のゆとり=あり、心のよりどころ=あり」
生きるに不足しないお金も時間もあって、人に優しくできる心のゆとりもあり、それでいて生きがいとなるよりどころがある。
そういった生き方は理想です。
そしてここでも、やはり精神的なあり方は大きく影響します。
僕の会社員時代とFIRE後の変化
僕は経済的自由を達成した後も、約8年間ほど、仕事をやり切ったと思うまでは働きました。
それゆえサラリーマンの間は、
「お金のゆとり=まあ、あり、時間のゆとり=少しあり、心のゆとり=割とあり、心のよりどころ=大きくあり」といった状態です。
都内での便利でノホホンな独身生活を送っていたので、通勤時間も少なく、育児もなければ(既に終えていました)、家事も適度な要領での自炊なので、生活的にも時間的にも、恵まれた環境だったと思います。
なによりも心のよりどころが仕事であったのが大きかったと思います。
ただ問題は、サラリーマンの間はずっと「やりたいことが積滞」し続けていました。
なぜなら「やりたいことに使いたい時間>可処分時間」だったのからです。
それゆえいずれアーリーリタイアをしたら一気にやろうとは思っていました。
心のよりどころの大事さ(まとめ)
経済的自由や時間的自由というのは、平たい言葉で言えば「お金のゆとり」や「時間のゆとり」です。
ゆとりとは「可処分所得(あるいは可処分資産)」であったり「可処分時間」で決まります。
ですが、必ずしも幸せを決定するのは、そうした「お金や時間のゆとり」ではなく「心のゆとり」であり何よりも「心のよりどころ」です。
今の時代、電車の移動でスマホをいじって動画やゲームを楽しむ人は、そんな移動中の隙間時間も「可処分時間」に変えて手軽な自由を満喫できています。
そんな隙間時間の自由やプチ贅沢などができる便利な世の中なので、心のよりどころを見つける必要性が少なくなっているのは危険ですね。
終わりに
でもその「心のよりどころ」って何だかわかるようなわからないような・・。
サラリーマンの頃は「家族」であり「子供」でした。
離婚もして子供も成人したころは「仕事」が僕のにとって「心のよりどころ」でしたが、アーリーリタイアをして仕事もない今は、そういえば、一体何がよりどころか??
と、今夜も食後のおやつは「食べだすと止まらない代表」のカラムーチョチップス、ホットチリ味。
ああ、辛くて止まらない・・。この依存がいまの「よりどころ」だとか・・。
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