幸せは2種類があります。
FIREの特性である「お金と時間のゆとり」と相性がよいのは「ウエルビーイング」という幸せです。
それはハピネス(Happiness)という幸せとは違うものです。
ウエルビーイング「Well-being」とは、生活の在り様(being)に根ざした恒常的な良い状態(well)という幸福感です。
日本語でピッタリの言葉が存在しないのが不思議なぐらいの一般的な考え方です。
今日は、このウエルビーイングを掘り下げて考えることで、「FIREは暇だ」といった問題についての解決の糸口となればと思っています。
2つの種類の幸せについて
2つの幸せとは「ハピネス(happiness)」と「ウエルビーイング(well-being)」になります。
ハピネスとは「一時的な幸福感」や達成した時に感じる「高揚感のある幸福感」です。
例えば、オリンピック選手が念願の金メダルを取ればハピネスを感じます。
それに対してウエルビーイングは「持続的に感じる幸福」です。
例えば、朝起きて犬の散歩に行く、夕方に晩酌をする、といった習慣のなかに「今日もこれができて幸せだ」という安らぎのある充足感を得られるのが、ウエルビーイングという幸せです。
このウエルビーイングこそが、FIREや定年退職などでのリタイア生活には欠かせない感性です。
おそらく、サラリーマン時代には味わいが薄かった種類の幸せだと言えます。
ウエルビーイングとは
ウエルビーイングがピンとこないと思いますので、もう少し説明します。
まず、平凡な毎日からも生まれる「日常的で恒常的な幸福感」です。
そんなウエルビーイングを最も良く表している、僕の好きな言葉があります。
それは「朝、希望を持って目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る」というものです。
こうした日常で忘れがちな健康、自然の恵み、労働、休息、安定、などに感謝しながら生きることです。
失って初めて気がつくような大事なことだったりします。
もちろん、この「働く」というのは仕事ばかりではなく「ボランティア」とか「野菜を育てる」という趣味でも、なんでも良いのです。
こうした日常から感じる幸福感がウエルビーイングです。
ウエルビーイングを感じとる資質
このウエルビーイングを感じるためには、ちょっとした資質が必要です。
資質とは「平穏で変化のない日々のなか、繊細なる感性でちょっとした変化を見つけて喜ぶというセンス」です。
なんとも奥ゆかしい~と引いてしまうような資質ですよね。
でもそうした感性って、年齢がいけば自然に身についてくるものだと感じます。
年齢を重ねて、人生の終わりをより鮮明に意識しだしたり、いろいろと物事をやり尽くすと、ウエルビーイングを感じる感性が自然に育つのだと思います。
みちろん若い方でも、時々ありませんか?
仕事の帰り道で、ふと、感じることが。
「夕陽が綺麗だ」とか「雲の形がおもしいなあ~」や「こんな道端で花が咲くのか」と。
すると「あー生きてて良かったなあ〜」なんて思ったりすることです。
実は身の回りに存在するもののほとんどが目に入っていません。
それを、「ゆとり」のある状態で「平穏なる心」で歩いていると、目に飛び込んでくる世界が少し違って、そんな感動や感謝を感じることもありよね。
そんな美的繊細さとも言える、アート?なセンスですね。
FIREに相性の良いのはハピネスよりウエルビーイング
これまでの経験から、サラリーマン時代の幸せはハピネスを、FIRE後はウエルビーイングを、より多く感じる環境なのだと思っています。
仕事社会では、世の中の変化に対して機敏に対処していくため、ゴールもきめ細かく設定されます。
週、月、四半期、半期、年など、目標を設定したり達成レベルを測ったり、期限に向けて追い込みもかけます。
目標達成の途中は辛いながらも、なんだかんだゴールを達成したら喜びは大きく、それはハピネスでした。
その積み重ねで「世の中を便利にする仕事に携わっているんだな〜」といったウエルビーイング的な幸せを、副次的に感じたこともあった気がします。
一方でFIREは「経済的な不安が無い、平穏な日々を、自由に好きに過ごす」というものなので、よりウエルビーイングという幸せに繋がり易いですね。
もちろん、FIREの目的は多様ですから、これは一般的な傾向として感じるだけです。
僕自身といえば、FIRE達成で、いきなりウエルビーイングなる世界は届かず、まずはいろいろな趣味であったり新しいものに挑戦して、ハピネスを感じることを多くやろうとしています。
なお、FIREをした人で「暇でしょうがない」ということもよく聞きます。
これもどういった問題なのか考えてみました。
「暇でしょうがない」はハピネスを探す志向だから
FIRE生活で「暇でしょうがない」と感じるのは、ハピネス型の幸せを探すマインドがあるからだと思います。
よく「FIRE後、ワクワクする時間はすぐに終わってしまう。あとは永遠と暇な日々が来る」と聞きます。
FIREしてすぐはハピネスを感じるとしても、そこからウエルビーイングを感じる感性やマインドに変わっていかず、ハピネスオンリーの志向が続くと、こう感じるのだと思います。
なにしろ、経済的な不安もなく、平穏な時間が多くあるFIRE生活を、ハピネスだらけで満たそうとしても、無理があるというか、アンマッチするのでしょう。
どのような幸せを探すことも不正解なんてありません。
ですが、FIREで可処分時間を多く得ているなら、ハピネスだけでなくウエルビーイングも合わせて満たすように取り組むのが良いのだとは思います。
暇と退屈の違い
なお、暇と退屈の違いは意識した方が良いと思います。
ハピネスを追及するなかで、いろいろやってみるがしっくりこないということがあります。
それは「退屈」というものです。
やってみた結果、飽きたり、慣れたりと順応するがゆえ「退屈」になるのです。
一方でなにもやらない状態から生じるのは「暇」というものです。
両者では時間への向き合い方が違います。
「退屈」の果てには工夫があって「何か新しいもの」を生み出す原動力になるかもしれません。
子供が退屈を感じると、新しいゲームやら楽しいことを思いついて、やり出すのと一緒ですね。
一方「暇」は、そこから生むものがありません。
そんな「暇」を脱却したいというのなら、
①ウエルビーイングを感じるように自分が変わる
→暇なる時間の中に心地よさ(well-being)を見い出す
②新しく何かを始める、
の、どちらかの対処が必要です。
終わりに
なんか今回、ウエルビーイング型のFIRE生活を推しているような内容になりました。
でも僕は、ハピネスをとことん追求するFIREから入っています。
FIRE達成後、サラリーマン時代からやり残している「手つかずの趣味やらやりたいこと」といったリストを目いっぱいやるのが、いま自分のFIREの入口から続く道です。
僕の将来の目標感は、なんとなく、ウエルビーイング+ハピネス有りの生活?に向かってる気がします。
好きな言葉をもじれば、
「朝、希望を持って目覚め、昼は懸命にやることリストを手掛け、夜は感謝と共に眠る」
ということです。
日中、いろいろハピネスを感じながら、希望で目覚め、感謝で眠りにつければ幸せです。
が、僕の日々の現実は「感謝と共に寝る」なんて程遠いです。
ふと思いました。
某CMで、有吉弘行さんが社長役で出て言うセリフと一緒だと。
『判断力はある、ただ、判断材料が・・ない。・・寝る〜💤』
僕も「感謝する判断材料が・・ない!〜寝る。」
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