父は50代半ばで会社を辞め起業し、そこから20年間の「会社ゴッコ」のすえ70代で全財産を無くしました。
こちらは2話目です。
1話目(下)を読んでからお読みくださるとより悲惨さがリアルに理解できます。
父との大喧嘩と母親の不憫さ
2011年秋に父の会社の破産処理と自己破産の目途がたち僕は父を慰めようと外食に誘いました。
でもそこで大喧嘩をしてしまいました。
発端は父のセリフです。
「起業後10年の会社生存率は10%以下だと言われるなかで俺は20年間も頑張ったんだ。」
あまりにも無神経なセリフを許すことができませんでした。
父のビジネスは個人商社(卸ビジネス)です。
設備投資や人的投資もほぼ不要な有限会社として300万円の資本金で始めれば十分でした。
ですが父は見栄のため「株式会社」にして設立資本金1000万円を友人親戚からも借り入れて設立し、さらに会社延命のため私財や借入金を果てなく注ぎこみました。
僕からすると「トータルで注いだ財産は300万円の資本金の会社を10社破綻させるに値するものだ」と思いましたが言わずにいました。
ですが僕は父に「よくも20年私財が底をつくまで会社ゴッコをしてくれたものだ。」「多くの人を巻き込み苦労を背負った母親が不憫でたまらない。」とは言ってしまいました。
「お父さんにとって人生で一番大切なものはなに?」「仕事で成功し、財を成し、周囲から褒めたたえられることって”家族”より大事か?」
父との距離
それから父とは疎遠になる一方でした。
父と母と別居していたので僕は頻繁に母親宅に行きました。
母親とネコちゃんに気の利いた手土産を渡しそれを喜んでくれました。
一方父親は1人で細々と年金生活をしていました。
月日がたったある日、そうはいえ体調も気になり父に連絡しました。
父が行きつけの巣鴨駅からすぐの路地にある小さな居酒屋で会いました。
昭和チックな店内には1品300円を切る「油まみれの紙メニュー」があちこちに張られています。
そこからお勧めの一品モノを幾つも頼み父と僕は格安のハイボールを飲みました。
わりと美味かったのです。
これほど安くて美味しい居酒屋をみつけるとはすごいと感心し、どこかそんな質素な生活ぶりに僕はほっとしました。
個人事業主として身の丈にあったビジネスをしていると本人から名刺を貰いました。
70代後半にまでビジネスするとはパワフルだと思いながらも、趣味程度なら害はありませんし暖かく見守っていました。
突然のビジネス成功
それから年月が流れ、2017年頃、父から連絡がきて「会おう」と言われました。
指定されたやや高級店にいくとそこには「顧問の税理士さんだ」と紹介する人物がいました。
3名で飲みながら夕食を取っていると父は突如「おまえも良い節税方法を考えろ!」と上から目線で言いだしたのです。
どうやらこの半年で利益が億に届きそうなビジネスに成功したようです。
当時の健康ブームである「商品」が世間で大注目をされ、父は以前からその製造開発会社と組んで優先的に商品を卸すビジネスで大稼ぎをしていました。
父は「45%も税金でもっていかれる前に節税方法を考えろ」と横柄です。
僕が「不動産投資をして減価償却したらよい」と言うと「そんな金の使い方ではオリンピックまで1億円にはならない。こっちは時間が無いんだ。ちまちま不動産投資なんかやっていられない!」と不機嫌に返答されました。
相変わらず財産欲の強さです。というか性格が最悪です。
その日以来ちょこちょこ会ってはいたなかで「懸念」が見えてきました。
横柄なる人格の露出
羽振りが良くなると同時に父の生活は乱れ、性格も横柄さもマックスになってきました。
生活の変化としては、まず、対面式の証券会社の顧客になったことです。
僕と食事中、父の携帯にかかってくる証券会社の若い営業マンに横柄な態度で指示を出したり「お前は報告が遅い。躾がなっとらん。」と怒鳴り散らかしています。
またこれまで知らない「飲み仲間」がいるようで食事中に電話がちょこちょこ入ります。
「社長、また飲みに連れて行ってください」という声が携帯電話から漏れ聞こえる様子からどうやら羽振り良く奢ったり深夜までスナックで歌ったりしているようです。
そうした「電話が多くかかってくる」ことが自慢のようで「最近は忙しくてな~!」と嬉しそうにしていました。
でも相手はお金目当てで近寄るだけでそれを父は見抜いていません。
僕には滑稽ですが、本人には恍惚で、まるで「水と油の関係」であると父を遠い存在に感じました。
そして愛人
そして愛人です。
もともと会社の事務として働いている女性(父と同年代)は父と愛人関係であることはずっと以前から知ってはいました。
いろいろ、もめるところがあったのですが、驚いたのは、その関係がまだ続いているということです。
その女性は裕福な家の出身で、親から遺産相続を受けていた未婚者です。子供も身寄りもいません。
そのため、父の会社が行き詰まっていた時はその愛人が父に個人的に貸し付けをして、父はそれを会社に貸し付けて運転資金にしていました。
僕はてっきり「父がその女性のお金を目当てにつきあっている」と思っていたので切れているとは思っていたのですが、破産してからも切れずに関係が続いていたようです。
お金ではない「何か」がありそうだとは思っていますが、その後、父の相続となるまでは父と女性の関係は気にせずにいました。
父の癌の余命宣告6か月
その後、僕は仕事で欧州勤務になったので日本を離れました。
父はとりあえず元気でやっているし母親もマイペースで不自由なく暮らしている様子で安心はしていました。
ところが東京オリンピックもあと数か月という段階で父は不調を訴え、診察の結果、進行性の肝臓がんがみつかりました。
本人には「癌だ」と知らせています。
ですが「詳しいことは言わなくていい」と言った父に「余命半年だ」とは告げていません。
コロナ禍が幸いなことに現地ではずっとリモート勤務でしたし、また会社が社員に対して「日本への長期一時帰国」を認めてくれていました。
その制度にのり僕は2021年の7月から2か月ほど日本からリモート勤務をしていました。
既に余命計算では残り3か月。
嫌いな父とはそれでも向き合わなければと思いました。
向き合うべきこと
僕が2か月でやらなければいけないことは、そんな横柄で嫌いな父親と向きあうことです。
野心、地位欲、権力欲、財産欲、承認欲求、成功欲と欲のオンパレードの父は20年間で会社を10社潰すほど破天荒な経営をしてきたわけです。
僕からは対極で究極の「人間の欲」を持っていて、その欲に正直すぎるほど生きてきた父と向き合うのが、どこか正直いうと、怖かったのです。
「臆することなく自分の欲にまみれ正直に生きている」というのはどこか美学があるからです。
次回、最後ですが、僕が本人の携帯電話、会社の手帳、そこから本人の死後にみえてきた「欲の向こうにあるもの」と「遺産相続資産」の扱いを話します。
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