自分らしい完全リタイア生活を送るにつれ、身に染みて感じることがあります。
それは「お蔭様」というものです。
「お蔭様」とは知っての通り「人から受けた親切や助けに感謝の心を表す言葉」です。
そんな「お蔭様」が会社員時代からリタイア生活まで一貫して大切な言葉になっています。
そこで「お陰様」にまつわる僕のエピソードと、リタイア生活模様を紹介します。
リタイア生活の過ごし方としても参考になったら幸いです。
子供の頃の夏休みの思い出
ずっと昔の、小学生の頃の夏休みの思い出です。
お寺が主催の林間学校に泊りがけで参加しました。
日中は小高い山の斜面の太陽が照り付けるなかで、野菜の収穫をお手伝いしました。
暑さでバテバテになるなか、皆で木陰で休みました。
木は木登りができる遊び道具が取り付けられていたり、木の根元の割れ間に沢山の昆虫がいて、皆で嬉しがって捕まえたりしました。
とても楽しく遊ぶことができました。
和尚様はその時に「こうして暑さをしのげるのは、木が陰を作り、太陽からみんなを守ってくれているからだよ。だからお蔭様というんだよ。」と教えてくれました。
また、「虫たちも木の栄養分で生きている。君たちも木で遊ぶこともできている。木は小さな命も守ったり、遊びを提供したり、大切な支えになっているんだ。そういった見つけにくい支えは大人になっても沢山ある。それに気がつける大人に育つんだよ。」と言いました。
こんな子供の頃の体験で「お蔭様」とか「目に見えない支えに気がつき感謝する心」をどこか意識するようになりました。
会社員の最後の挨拶
皆さんもそうだと思いますが、孤立奮闘で仕事をせざるを得ないことっても多々ありますよね。
僕も長い会社生活では「こっちは前線で頑張ってるのに組織は応援してくれない」と嘆くようなこともありました。
でも、そんな状況で結果を出しても、結局は「会社の看板」、「取引実績」、「成功事例」などがあってこその取引先からの信頼であり、僕が独力で勝ち得たものではないしなあと、支えに感謝し現実的に受け止めていたと思います。
多分、その和尚様の「お蔭様」の教えがそうさせているのだと思います。
なので、サラリーマン生活での最後の社内挨拶では、「皆さんの支えでここまでこれた」「これから頑張る」と、かなり本音で口にした記憶があります。
時々、人の挨拶を聞いていると「テンプレ」みたいに「皆さんの支えで」と言う人がいます。
林間学校で和尚様が言ってたような「気づかないような小さな支えに気が付いて感謝してるのか?」と疑問に思うことがあります。
僕のリタイアが馴染む日々でのお蔭様
リタイア生活においては、なるべく会社員生活の延長とならないよう、正反対の生き方を志向していることは記事にも書いてきました。
断捨離というより、完全捨て去りというレベルで。
ですが、会社員時代からリタイア生活へと一環して引き継いで守っているのが、この「お蔭様」というものです。
引き継ぐといっても、心の持ちようのようなささいな言葉なので、わざわざ取り上げるほどでもないかもしれません。
ただ、最近はリタイア生活でこれを痛感するのです。
昔の人の隠居生活のありよう
最近のリタイア生活で、子供の頃、隠居していたおじいちゃんとおばあちゃんとご飯を食べた情景を思い出します。
僕が幼稚園か小学校1年生ぐらいだったと思います。
畳の部屋のテレビの前に置いてあった昭和な「ちゃぶ台」で、僕は、おじいちゃんとおばあちゃんとお昼ご飯を食べることが多かったと記憶しています。
食事を終えるとおじいちゃんは「ごちそうさま」と丁寧に言ってお箸をきちんと置くシーンを思い出します。
僕が大雑把に、お茶碗にお米を残して食べ終わると、おばあちゃんが「お米は一粒も残してはいけません。お百姓さんに申し訳ない。」といったことも思い出します。
ご馳走様の「馳走」は「馬で走り回る」を意味します。
昔は客人を迎えるにあたり、馬を走らせ食材を調達しもてなし料理を準備したということで、「馳走」という言葉が「もてなし」を意味したと言われています。
ごちそうさまは、そんなもてなしに感謝をする言葉です。
そして、お百姓さんが一生懸命に育てたお米を粗末にしてはだめだということも、小さなものも大事にする、そんな支えに感謝する心です。
僕のリタイア生活での感謝
僕はいま、能天気な令和のアーリーリタイア生活を送っています。
夕方、スパークリングワインをシュパっと開けて、浅草で買った漬物、近くのスーパーで買った北海道のウニ、愛媛の真鯛の刺身と合わせて飲んだりと、そんな昭和時代とは暮らしも食べ物の種類も違って、豊かになっているとは思います。
生産者やサプライチェーンのお蔭様ですが。
でも僕のいまの心境は、隠居生活のおじいちゃん、おばあちゃんの感謝する気持ちとまるで変わらないのです。
終わりに
そんなこんなで、最近のリタイア生活で、実はあるプロジェクトをやっています。
いまの自分がこうしていられるのは、お父さんやお母さん、先祖のおじいちゃんおばあちゃん、さらにその先祖があってこその、自分だなと、「お蔭様で」といった感謝の念です。
でも、そんな先祖が、なんていう名前で、いつ、どこに生まれ育ったか、なんら「家系図」も「情報」も家にはありません。
別に名家なわけではありませんから当然ですが。。。
で、いまは原戸籍を1つ1つ取寄せて、自分で「家系図作り」もしています。
時間がかかっていますが、今年中には、自分の先祖の生まれが1700年代に届くところまでたどり着けるといいのですが。いま、1850年代です。
といった「暇だな~」と言われそうなことで時間を使っているのです。
先日の記事で、「好奇心に係る情報収集」がリタイア生活での時間を圧迫している書きましたが、その「時間の使い方」の具体例の1つが、実はこの家系図プロジェクトです。
また、こうした先祖を遡って知りたいという気持ちは、自分が生まれ持った宿命(どんな先祖だったのか)をきちん知ってデータ化したいとの意図です。
それも、こんな記事を先日書きました。
リタイア生活って時間がある分、オタクな生き方を助長しますね。お蔭様で。
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