平日の真昼間、都内の地下鉄車内で僕は「わらしべ長者物語」なる体験をしました。
リタイア民ならではの出来事だなと思い、その様子を今日は書きます。
怪我をしていた若い女性
平日の日中なのに珍しく都内の銀座線は空いていました。
横並びの座席に僕が座っていると、20代前半の清楚なスカート姿の女性が反対側の座席に座りました。
膝のあたりが少し出血していて、ハンカチで拭き取っていました。
しばらくするとまた少し血がにじんでいます。
スカートに血はつかないにしても、「ストッキングが数ミリ破れても取り替えたい」のが女性ゆえ、気になるのでしょうね。
親切心で行動するかに悩む
ふと、システム手帳にカット絆創膏を常備していることを思い出し、早速探しました。
ミッキー柄の絆創膏・・があります。
ただ、静まり返って人も少ない車内。しかも向かい側とは2メートルも離れています。
いきなり向かい側のおっさんが、ツカツカとミッキー絆創膏を渡しに来ても怖いだけですしね。
なお周囲は、パソコンを膝に置きキーボードをたたくサラリーマン、携帯いじってる大学生男子、携帯で動画をみている女性などです。
周囲は大丈夫そうですが、僕が手渡して「下心がある」と思われても困るし、嫌な顔をされるのも凹むし・・と悩みばかりです。
降りるタイミングで渡した
ならば、女性が先に降りる時か、自分が降りる瞬間しか手渡すチャンスがないと思いました。
すると、日本橋駅に電車が停まりかけたところでその女性がサッと立ち上がりました。
相手との距離も近づいたところで「イマだ」と思い、僕は身を少し乗り出し、手を目いっぱい伸ばしました。
そして「どうぞ使ってね」と、その絆創膏を手渡しました。
案外、すんなりと「ありがとうございます」と受取ってくれ、ほっとしました。
一歩間違うと「変態おじさん」だったので、この結末にとても嬉しく思いました。
なお、左側に座ってキーボド叩いていたリーマン君が事態に気がつき「何事か!」と僕のほうをみていました。
たかが絆創膏が相手には不可欠なモノ
僕にとってはたかが絆創膏です。
使うこともない状況では、原価数円の絆創膏なんて、数円なりの価値です。
でもその女子にとって、その絆創膏は大きな価値があったと思います。
せっかくの彼氏とのデートで怪我で気が滅いったり、スカートに血がつくかと気になったり、絆創膏を買う手間も必要だったかもしれません。
そういえば「わらしべ長者」の物語がありますよね。
飛んでいたアブを藁(わら)に結びつけて遊んでいたら、子どもが「ほしい」と言って、それをあげたらミカンをもらっています。
僕は、絆創膏を渡し、女性からはミカンにかわる「感謝」を受け取った気がしました。
やはりリタイア民ならではの暇と余裕か?
サラリーマン時代だったら、こんな状況にすら気が付かないでしょう。
いつも移動中もスマホに向かって会社関連のメールやニュースを読んだり、時間に追われていました。
「リタイア民」ならではの暇さ加減、心の余裕で、そんな出来事に反応できるのだと思います。
優しさを価値に変換すること
最近、リタイア生活で気になっていたのは、サラリーマン時代とは比較にならないほど税負担が少ないことです。
それはそれで有り難く嬉しいのですが、社会でいけば税負担の受益者です。
わらしべ長者は譲った物でみかんを受け取りましたが、リタイア民なる者、それで納税です。
つまり、リタイア生活では「親切心」を税金がわりに社会に納める。
そんな心がけや心の持ちようが大切だと、気づける出来事でした。