僕のFIRE生活で最大の課題は「減りゆく現預金へのストレス耐性」でした。
ストレスとは、現預金が減りゆく構造のライフスタイルで、精神的安定や自由を追求するのがどうも居心地が悪いということです。
そこから、いろいろ考えを発展させると、たどり着いたのがFIRE幸福論でした。
思わぬ出口に来たものです。
ぜひご一読ください。
減りゆく現預金へのストレス耐性とは
昨日の記事(下記)で書きましたが、アーリーリタイアから1年がかりで、FIRE生活で感じる「減りゆく現預金」を気にせず生活できるよう、思いつく限りのことをしてみました。
要約すると、
①ストレスの原因を減らすために、金融資産の資産配分(アセットアロケーション)を元本保証率70%越えに高めてリスクを排除したり、
②ストレスを緩和するために、リタイア後の生活費の実データでもって生涯収支シュミレーションを再計算し、先行きの安全性を確認したり、
③ストレスを解消するために、月次の資産管理方法も自分なりに確立し、資産残高の推移が安全域内であることを確認したり、
といったことです。
その先に僕が目指していたのが「いかにお金に囚われない心を作るか」でした。
でも、よくよく考えると、自分がFIREを通じて目指しているのは「お金に執着しない」といった仙人のような心境に至ることじゃないのです。
僕がFIREで目指すこと
僕が目指すのは、ブログで掲げた通り「自由で楽しい完全リタイア生活を心穏やかに過ごす」というライフスタイルを作ることです。
それまでの会社員時代では得られなかった心境であり価値ある生き方です。
そのためにFIREをして、精神的自由も時間的自由も手にしたはずでした。
精神的自由ってなに?
精神的自由って「はい、経済的自由ができてお金の不安がないから、精神が自由です!」っていうものでもない気がしています。
こんな「減りゆく現預金」を気にしているちっぽけな自分では精神の自由なんて程遠いものです。
何が精神の自由かと考えると、やっぱり「今しかできないことをやりきること」かもしれません。
これも先日記事にしましたが、経済的自由を達成した40代後半、「仕事は辞めずに続ける」と選択をしました。
それが当時の「今しかできないこと」だったのです。
その時に携わっていた仕事が、自分の天職で、会社を辞めてプロジェクトをやり遂げられないと、後悔が大きいと思ったからです。
結果、「仕事を辞めない」と選択し「嫌ならいつでも辞める」と仕事をしてたら、不思議と「時間は不自由」でも「精神は自由」だったのです。
時間的自由が精神的自由を実現する?
そんななか、父親は亡くなり、母親も老齢で、いつまで元気かわかりません。
仕事も一段落をしたとき、「今しかできないことって何か?」とリストアップしたことがアーリーリタイアの判断に至りました。
今しかできない大事なことが山積みだ、と思ったのです。
その内容は「自分がやりたいこと」も、恩返しやら感謝に報いるといった「やるべきこと」もいろいろです。
例えば、母親への親孝行1つとっても、仕事をしてばかりで十分にやれずに終わったら、自分の気持ちはいつまでも「自由」なんて世界に辿り着けません。
ずっと一生、後悔すると思ったのです。
だからアーリーリタイアしましたし、「今しかできないことをやりきる」って判断をしたのです。
その時の記事はこちらです。
アーリーリタイアの決断の決め手となったゲインとロス分析について(50代半ば)
「減りゆく現預金」の問題とは何?
今日、「じゃあ、減りゆく現預金のストレスって、何なのか?」と考えました。
まず、そのストレスは「現預金が減り続ける」という「構造」に感じることです。
投資金額の評価額のほうが現預金の減りよりもアップダウン幅は大きいし、減ったからといって凹みません。どうせ一時的な評価額なので。
ただ「確実に右肩下がりで減りゆく」というのはどこか寂しい感覚です。
例えるなら、線香花火に火をつけ最初は勢いよく「パチパチパチパチ」となって嬉しいのに、じきに勢いがパチッパッチってジワジワ弱まると、悲しい気持ちになることに似ている?のかもしれません。
ちなみに、現預金が減って生活に行き詰まる、子供に迷惑をかける、とはならなさそうなので、どちらかといえば「お金が足りないと人生での選択肢が減る」とか、「せっかくの資産目標の達成額が下回るのが嫌」というこだわりかもしれません。
そんなことを考えているうち「現預金が減る」とか「お金に執着しない」ってことは、本当に大事なことでは無いと思うようになりました。
お金のも問題よりも大事なこと
そういった考えをするうちに、大事なことは、ブログで掲げた「自由で楽しい完全リタイア生活を心穏やかに過ごす」というライフスタイルを作ることだと痛感しました。
なお、それは「自分勝手に生きる」って意味ではないのです。
実は奥深くて、親孝行やら恩返しといったことも含め、今しかできないことを全部やり切ることで、精神的にも解放され、そこから「自由で楽しい人生」に繋がるものなのだと痛切に思ったのです。
結論
すると、本当に変わらないといけないのは、資産配分(アセットアロケーション)の安全化じゃありません。
変わるべきは自分の考え方です。
「資産をいかに作るか・増やすか・減らさないか」っていうリタイア前の目標や感覚は捨てるべきです。
「いまある蓄財を、今しかできない価値あるものにどう使うか」といった「お金の使い方」であり「蓄財の価値を最大化」するという課題です。
それを、FIRE的な表現にすれば、
FIREまでは蓄財に励み、経済的自由を目指すが、FIREを達成したら、「経済的自由と時間的自由と空間的自由を使って、いかに、お金も時間も空間も、人生で価値あるものに転換するか」が「精神的自由を求めること」と同じことだと思いました。
なんだか、
精神的自由=自分の生きる幸せ、
ってことになってきてしまいました。
まあ、世の中、FIREの数だけ、幸せの道はあると思います。
僕にとって、こうしてモヤモヤしていた雑多な物事を、バラバラに紐解いていたら、それが頭の中で1つに繋がってきて、言語化もできるようになってきた気がします。
アーリーリタイアから1年。
ようやく、FIREの入り口に立った気がして、今日は、そんな思いが先走った文章ですがお許しを。
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