FIRE世界と会社世界の間には境界線があります。
僕はいま①FIRE世界の住人です。会社員時代の前半は②会社世界の住人で、後半を③境界線(センターライン)を歩く人生でした。
と、暑さのせいで妙なことを言いだしたかと思われるかもしれませんね。
じつは今日、ある昔の友人のセリフが頭に浮かびました。
その言葉がきっかけに、いまのFIRE世界からみると、会社員の世界と、その境界線に「センターライン」があることが認識できました。
しかもそのセンターラインは「とって安全」だと思った次第です。
そんなFIREと会社世界の境界線(センターライン)について今日は書きたいと思います。
友人のセリフ
大学生の頃の飲み仲間だった友人はとてもユニークな人物でした。
「俺は酔うとセンターラインで寝ちゃう」と言っていました。
その真偽は別にしても(本当だったら恐ろしい限りですが)、僕は不思議と「危険な世界(車道)の間のセンターラインは確かに安全だし~!」と思いました。
そして50年も人生を歩んでいると、案外、そんな境界線(センターライン)は、安全なだけではなく賢明なのかもしれないと思っています。
それは、会社員という世界、そして今のFIREという世界を知ることで、世界を隔てる境界線というものも見えてきたからです。
会社員の世界にはみ出すと?
たとえば、センターラインを越えて、「会社員の世界」に入るとしましょう。
そうなるとどうなるか?
まず「会社員の世界」にある独自のルールに洗脳されます。
僕の時代でいけばまず最初は「新入社員は誰よりも早く来る」から始まりました。
それから徐々に「たとえ黒いものでも上司が白といえば白になる」といった世界観を体得することになります。
多くの上司は黒を「黒いなあ」といってましたが、なかには黒であっても「真っ白ケッケだ~」という上司もいますからね。
ということで、そんなセンターラインを一歩踏み超えて「会社員の世界」に入ると、不思議と、そんな黒が「真っ白ケッケ」に見えてくる世界が当たり前になるのでしょう。
FIREの世界にはみ出すと?
ではセンターラインを越えて「FIRE(完全リタイア)の世界」に入るとしましょう。
どんな世界か?
まず、その世界は目覚ましも鳴らず「目が覚めた時間が起きた時」です。
決まった期日で決まったアウトプットを出す必要もなく、生活での大失敗といえば「ゆで卵の黄身が半熟じゃなかった」と「茹ですぎを悔いる」というレベルです。
そんな状態に慣れてしまうと「仕事のプレッシャー耐性」はみるみる退化し、仕事に戻ったとしても、きっと従来の何倍もの苦痛を感じてしまうでしょう。
ただ一方で、金曜日の夜の帰路でウキウキ感をもったり、帰宅後のビールの1杯が超美味しいといった味覚も失ってしまいます。
センターラインを歩いていると
ということで、僕はどうにか、会社員の最後の10年は「どっちの世界にも踏み込めるが、あえて踏み込まない」というセンターラインを歩いていました。
経済的自由もありながら、仕事も後悔ないまでやりたい。黒いものはたとえ上司が白だといっても黒い。そう主張できるような世界がセンターラインです。
それは「両方の世界と適度に距離を置きながらも安全地帯を歩き俯瞰して世界を眺める」という感じです。
センターラインと地面にいる感覚よりも、両者を隔てる高い壁があって、その壁の上をバランスよく周囲を見渡しながら歩く感じかもしれません。
まさにセミリタイアというのは、そうしたセンターラインを歩むような生き方かもしれません。
終わりに
そして僕はいま「FIRE世界」の住人です。
この世界にずっぽりと入り、くまなくウロウロしてみたい気がしながらも、実際は右往左往しているだけの感じもします。
FIRE世界にいても、会社員世界にいても、そんなセンターラインという退避しながら歩ける場所があることがわかっているだけで、世界は怖くはないのでしょう。
いまは、そんな友人のセリフが違った形で思い出して、懐かしいやら感謝するやら、不思議な思いを綴りました!
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