FIREをするうえで、インターネットの存在が大きなプラスにもマイナスにもなります。
今日はそんなインターネットの功罪について考えてみます。
インターネットが及ぼすマイナス面
FIREをするうえで、インターネットが最もマイナスになるのは、ネットで拡散されている「キラキラした生活」に、簡単にアクセスできることです。
つまり、人の「贅沢な生活」を簡単に覗き見することができ、自分も感化され易くなります。
すると、真似したいと「購買欲求」が生まれ、浪費することに繋がります。
また「きらきらした自分」を発信して「いいね」を貰う「承認欲求」などの欲望も増長されやすくなります。
FIRE生活を安定して維持するには、何よりも「支出<収入」となることが大事です。
そうしたなかでは、人間の欲望を根本から抑えなければ、無駄な出費がでてしまって大変です。
ネット上の人の贅沢な生活に感化されない方法
では、他人のインスタやらFacebookをみてキラキラした世界に感化されないようにするにはどうしたら良いでしょうか?
人によって、その効果的な方法は異なるとは思います。
感化されやすい人は、単純に、そういったSNSを遮断する(キラキラをフォローしない)のが一番だと思います。
ですが僕は、そういった方法も必要なく、また感化もされません。
やっていることはたった一つ、自分の好きなこと、やりたいことをしているだけです。
そもそも、自分に興味があることがあれば、それを調べたり体験したり(お金が多くかからないものも多いです)することに、時間もエネルギーも費やします。
そうなると、人がどうこうより、自分軸で「自分が満たされるもの」だけをみることに集中しますし、自分の「欲」の空きスペースが少なくなります。
こうした「欲」は空きスペースがないのに、仕事のストレスや、どこか満たされない心があると、いつのまにかスペースを増やしていて、そこに「キラキラしたもの」で埋めたくなってしまうものだと思います。
インターネットが及ぼすプラス面
一方で、ネットはプラス面も多々あります。
FIREをするうえで最もプラスとして甲乙つけがたいのが2つあります。
1つは、FIRE生活がどういったものか、ネットを経由して学べることです。
FIREに限らず、ネット上にある情報や知恵、また人の生活模様など、自分が実践をせずとも情報を得られるのはとても大きいです。
2つ目が、「人とつながること」です。
ネット上でのやりとりだって、例え対面で会わずとも、そうしたつながりを感じさせることができます。
もしネットがなかったらどうなったか?
もし今が1980年代で、携帯電話やスマホもない、ネットもない時代だったらどうでしょう?
FIREを調べるにも、読書であったり関連記事を物理的に読む(ネットで検索することはできない)ことになるので、図書館に行って過ごしたり、体験者に話を聞いたりと、かなり労力もかかり、広く公平な情報を集めらるのが大変です。
ネットがないなかと、人とつながるりだって、自宅にある電話機の重い受話器を耳に当て、誰かと話すことでコミュニケーションを取るしかありません。
あるいは、今はほぼ聞かなくなってしまった「文通」でしょうか??
若い人はびっくりするかもしれませんが、リアルな手紙をやりとりをしてコミュニケーションをすることが流行っていた時代があります。
そんな知らない場所の知らない相手を探すために、昔は雑誌などに「文通求む」というコーナーがあったりしました。
そこには「名前、年齢、住所、趣味」などのほか、「どういった文通をしたいか」の要点が書いれていて募集中とあるのです。
それをみて、文通したいという人が、手紙を送ってきます。
こわーですよね。
今では、そんな個人情報を堂々と雑誌にさらけ出すなんてありえないので、やはり時代が変わったと痛感します。
便利な世の中のリスク
こう考えると、アナログやら紙ベースの時代に比べて、今のデジタル時代は、FIREやらセミリタイアの情報もネットで簡単に手に入るようになり、実践しやすい時代だと思います。
ただ、アルゴリズムは危険な面があります。
自分が検索するキーワードを蓄積し、その関連コンテンツだけを「おすすめ」と表示するので、実際に世の中に存在する情報のなかで、自分の「欲(検索ワード)」にかかわるものだけが現れます。
それゆえ、「世界は自分が欲しているものを満たした人ばかりだ」なんて勘違いをしやすくなります。
ネットとは、そういった「仕組み」であることを理解するのも大事ですね。
ネットに限らず、投資でお金を増やすのも、「資本主義の仕組み」や「会社の仕組み」を知ることが大きな助けとなります。
終わりに
ネットの功罪をみてきましたが、僕がネットを使いながらも、お金に支配される人生を歩まないのと同じぐらい、「情報に支配されない人生を歩みたい」とつくずく思っています。
これは、僕にとっては「精神的自由」を追求するなかでの1つのサブジャンルテーマです。
そんな自由を守る方法があります。
自分の欲にスキがあったり、目的がはっきりしていない状態ならば、「逆の情報を調べる」ということです。
たとえば、「満たされない」という人は「欲しいもの」を次々みるのではなくあえて反対の「満たされた状態の人の思考や行動」をみたりするのです。
「お金持ちになってキラキラ生活を送りたい」なんて思ってるならば、しっかり地に足のついた「質素ながら目的をしっかりもった志のある人の生き方」をみたりです。
そんな反対のことを疑似的に理解することで、発見やら感情の中和もされると思います。
いずれにしても、ネットですぐに人と比較するのではなく、昨日の自分にして、良い方向に変化している自分がいるかを比較し、「少しでも前進ならOK」と肯定するぐらいでも良いのだと思います。
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