生きていくとだんだんと「量より質」を重視するようになるものです。
わかりやすいのは「食」の欲求です。
加齢で体が必要とする栄養量も減るので、食べられる量が減るのは自然なことです。
仕事や趣味などの「生き方」も本質は同じです。
最初は無駄に働いたり、無駄になった趣味もありますが、だんだんと自分の「好きなこと」や「得意なこと」を理解していきます。
その結果、質が高まります。
ところがリタイアをすると、そんな「質」からまた「量」となります。
ええ??と思うかもしれません。
これを「食」という世界を使って書いてみます。
なお、食べられる量は加齢とともに減るので、そもそもアーリーリタイアで「食事の量が増えた」というのではありません。
そもそも量が無ければ質を語れない
やはり「質」を語れるようになるには最初に「量」をこなすという段階は必要です。
例えば20代の頃、量はものすごく食べました。
また、量とも言えますが、多種多様の料理も食べました。
家庭の料理という「母の味」は良いのですが、そこは母親のレパートリーという広さの制限もあります。サラリーマンとなってからは、家庭では食べない多様な各国料理など食べるようになりました。
若さの凄さは、こうした「量」も「品目」も多くとり経験値を増やせるということです。
そんな経験値があるがゆえに自分の好きな「質」を味わえる原動力になっていきます。
ビュッフェにいけば若いころは「全品食べるぞ」と片っ端から30品はたいらげましたが、加齢と同時に「欲しいもの、好きなものだけ食べる」ので手をつけるのは10品、でも満足度は変わりません。
それだけ「自分の好み」を理解し無駄なく「質」を取ることは大事です。
リタイア後の「量より質」について変化したこと
さてこうした「量」という若い時代を経て「質」に向かいますが、リタイア後はまた「量」に戻っています。
「働かなくなって健康体となり15品を食べられるようになったよ」ということではありません。
サラリーマン時代の忙しい時は、限られた時間しかなく、そこでは確実に「質」を取りに行きました。
質とは、食べに行くなら「外さないレストラン」という確実さを狙うということです。
週1しか外食しないのなら、その外食で「外す」がないように、ある程度「質」を理解している「行きつけのお店」とかに行くということです。
ですがリタイア後は時間があります。
そうした「質」(という行きつけの店)をとりつつ、新しいお店を開拓するという意味で「量」も増やしています。
整理すると、
①若い頃=とにかく食べる量、品種多様。時間もあっていろいろ経験した。
②サラリーマン時代=量より質を重視、特に忙しくなった40代とかはハズレをひかない
例)週1の外食は、毎回、その1回が確実にハズレの無い「好きな料理」を食べに行く
③リタイアしたいま=「質」も取るが「量」もとって冒険する
例)週1の外食は、ハズレのないいつものお店だが、それ以外にも「新規のお店、新規の味を開拓する」。多少外れも経験するがそれもヨシとする。
といった具合です。
リタイアという「ハズレのリスクを取れる」特権
サラリーマン時代の悪かった点は、どうしても時間がないので「冒険をしない」という状態でした。
それゆえ新規のレストランにいく冒険より確実に美味しいお店に行くという判断をしがちでした。
もちろん、世の中には「新しいお店開拓が好き」な人もいるでしょう。開拓することが喜びという人です。
でも僕は確実に美味しいもので、週1、ホッとする時間を作ることを優先していたので、「なんだかイマイチ~」となる新規開拓は避けていました。
それがリタイアした今は、冒険が加わりました。
若い頃に培った「量」を食べて「自分の好み」という判断基準を得たので、リタイアで得た「時間」も使って新しい自分の好きなお店を開拓することです。
つまり「質の品目を増やす」ことですが、ある意味「量」とも捉えられます。
変遷は「量→質→量(といっても質を複数作る)」と言う感じです。
終わりに
今から思うと、サラリーマン時代は思った以上に保守的でした。
食や趣味など、時間が限られているので「確実なものを取りに行く」という考え方です。
それはサラリーマン脳である「守り優先」からくるのか、忙しくて疲れていたという「パワー不足」からか原因はわかりません。
リタイアした今は「量より質だ」と大人っぽい振る舞いより、質を重視しながらも、新しい質を求めて「質より量だ」と冒険するぐらいの子供っぽさでも良いと思う次第です。
ただ「食の感動を分かち合いたい」というなか、仲間は仕事をしていることも多くスケジュールが合いにくいので、孤独のグルメ状態です。
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