僕の(アーリー)リタイア生活の心得として「リタイア人生をこれまでと違ったメンタリティーで生活する」があるのですが、その背景にある理由についての続き(②)記事です。
人生を振り返ると、失敗なりのきっかけで自分が変わったり人生が開けたので、リタイアという転機でも生活様式だけじゃなくマインドも変える試みをしている次第です。
ということで、人生を変えた失敗というか転換となった出来事の2つ目です。
人生終わったと思った30代の経験
10代の失敗は「住んでいた治安の悪い国で夜道を歩き泥棒にあう」といった判断の甘さや、最悪の結末を想像しなかった「自己責任の欠如」でした。
一方で30代の失敗は実力不足からきた脱落(と感じた)です。
それは同期と出世や給与面で差がついて、会社の敷かれたレールから脱落した(負けた)とショックを受けたことです。
当時は、誰もが学校を卒業したら会社員となって終身雇用で定年まで働くのが一般的でした。
なので入社後は、学生時代の「みんな仲良く楽しく生きようぜ」といった自分らしさも薄れ、より「競争社会で負けたら終わりだ」といった量産型サラリーマン思考となりました。
ましては10代の経験で「自己責任」を持ちすぎていたので「努力は結果に影響する」というか「結果が悪い=努力不足だ」と自分を責める心理状態がりました。
それゆえ「差が出たのは自分の努力不足」だとか、同時に「自分の実力はこの程度だ・・」といった「限界」にぶつかった閉塞感です。
そこから10年もたつと「結果は努力だけじゃない(運やめぐりあわせもある)」とか、そもそも他人との比較で自分の価値を決めることの「イケてなさ」を実感しましたが、当時は「人生もう詰んだ」とさえ思ったものです。
人生のレールから外れたことからの教訓
人生が詰んだとしばらくはウダウダしましたが、根は楽観的なので少し違う方向でやってみることにしました。
社内評価はあくまで社内ということで、腐らずに、少しばかり「会社への反発」をしました。
人材派遣会社の人と定期的に会って現状より条件の良い転職ポジションを提案してもらいながら機会を探したり、業界での価値を基準にしたり、起業を考えたりといったことです。
実際、30代中~後半は会社人間としては心理的に悶々としましたが、かえって会社外の基準や視点を持ったり、起業したりと、猛烈に外向きエネルギーを使うきっかけになりました。
なので今では「失敗さまさま」です。
失敗から方向転換しても十分に道が別方向に開けることもわかり、「会社で限界を感じても人生の限界はまた別だ」との教訓を得るようになりました
教訓からリタイア生活に活かしていること
そんな教訓からリタイア人生も、「命を失う失敗でもないなら、失敗なんて糧にすれば良い」と気楽ですし、「回り道でも世界が広がるから人生を楽しめば良い」と、臨みました。
なのでサラリーマン人生とは違う方向にあえてリタイア人生を転換しています。
サラリーマン生活は目標をもつことが当たり前で、そんな目標達成で「成長」するを自分に強いてきました。それはそれで役立つものでした。
でもリタイア生活はあえて目標はもたず、成長より「解放」をテーマに生活しています。
解放とは、直感やら義理やらも尊重しながら、感謝をもち、自然体で今を大事に生きること、つまり「自分らしく生きる」です。
終わりに
終身雇用という考えでは、会社のレールから外れることはイコール、人生の終焉の思いがありました。
まさかサラリーマン時代の失敗が生き方を広げる結果になるとは微塵にも思いませんでしたし、早々に「会社にすがる生き方」から脱却できたのは運が良かったと思います。
もし世の中がいまも終身雇用が当たり前で、個性が否定され、会社人生が絶大メリットなる世の中だったのなら、僕は「失敗した」と引きずっていたと思います。
でも社会は「個性や自由」が尊重される方向に動いていますし、閉塞感ある世の中ですが、「日本はまだまだ捨てたものじゃない」とも思っています。
アーリーリタイア生活は「心穏やかに楽しく自分らしく生きる」と、サラリーマンと真逆の生き方を楽しんでみようというメンタリティーで過ごしています。
今は新しい時代への制度や常識への過渡期で過ごしにくい社会ですが、会社で頑張る人にも、個で頑張る人にも、自分の子供にも「リタイアしてもまだ先を楽しめる人生がありえる」と明るい未来を伝えられたらという思いで、日々、なんとかやってます。
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