リタイアして初めて「会社で求められるスキル」と「リタイア後に役立つスキル」の違いを理解ができます。
そのなかで「会社の経験でリタイア後に役立つ」というものがあります。
3つ目の例が「努力は必ずしも報われるとは限らない」という教訓を会社員時代に心底感じたことです。
実は会社人生に限らず「生きる」ってそんなもので、たまたま「会社」というコミュニティーはそんな不条理が増幅される環境で実感しやすいだけだと思います。
それゆえ、サラリーマン時代の「結果が全て」から「結果はさておき、いまを納得・充実する」とプロセス重視に変わりました。
これが、リタイア後にも役立っていて「人生は成功より今を豊かに生きることが大事だ」とか「今を豊かに生きた結果、報酬がついてくればラッキー」いったリタイア指針につながることになり、良かったと思っています。
”努力が必ずしも報わるとは限らない”とは
なお「努力が必ずしも報われるとは限らない」と言う表現は一定の条件で使っています。
努力とは、仕事でいけば、目標なりKPIを達成するための努力のことで、正しい努力を正しい方向で正しい量を注ぐことは、絶対に必要だと思っています。
なので方向違いの努力や、自分よがりのやり方を「努力」というのは含んでいません。
だからといって「正しい努力を正しい方向で正しい量を注ぐ」ことで、必ずしも結果を達成できるかといったら、そうでもありません。
そこには、コントロールできないこともあれば、ちょっとした運や縁などの作用で、結果とならないこともあります。
というのが「努力は必ずしも報われるとは限らない」っていう意味で捉えています。
なお、努力した分は自分で何かを得られますし、それと報われることは同一ではない、という意味です。
努力が必ずしも報われないという例
例えば、ある「新規事業開発のポスト」があるとします。
ポストの候補者が複数いて、その実力も成果も同レベルだとしても、例えばそのタイミングでポストに登用されるか否かは「運」があります。
例えば、
・市場が縮小均衡の場面であれば「守りが強いが攻めもできる」って人材が選ばれる
・市場が上向きの拡大場面は「スピードある攻める人材」が選ばれる
・競合に遅れて参入する市場は「不屈の挑戦心があってニッチな攻め方が巧な人材」
といった選択になったりします。
まあ、こうしたまっとうな「時代背景という外的要因」だったりもあれば、特定個人の「好き嫌い」で左右されるものも含め、会社というのは、そういうったところです。
これに似た記事を書きました。
努力が必ずしも報われないへの対処
会社生活で「努力が必ずしも報われるとは限らない」ということに気が付いたとき、おそらく人は「3通り+オプション1」の反応をします。
それは、
①報われるとは限らないなら努力の意味はない(=努力放棄)、
②努力しなければ報われることはない(から努力してみる=努力信仰派)、
③努力を続ける(考えてもしょうがない=思考放棄派)
です。
僕は最初、①努力放棄、の日々もありましたが、なんだかんだ楽観的なので、その後は②の選択を取ることになりました。
ただ、無条件ってことはなく、少しオプションというか変化をつけて、
④プラス1=努力が報われる将来を案じるより、努力する今が納得・充実するなら良し
といったことで、将来にかけるより、いまを大事にするということです。
それが、リタイア生活では、とてもしっくりきます。
終わりに
生まれてからずっと、「努力は報われる」とか「夢はいつか叶えられる」といった、おそらく確率的には数パーセントのものごとが、あたかもそこら中にあるかのような教えを学校教育では受けてしまいます。
そこから「頑張ることは美徳」という価値観を植え付けられます。
百歩譲って、たとえそうスタートしても、いずれ学生時代~社会人と経験するなかで、いつか不条理に気が付きます。
問題はそれにどう対応するかの、自分を生かし方だと思っています。
サラリーマン生活はそんな「成功と豊かさ」の違いを理解するにはもってこいの土俵でしたし、それがわかっただけでも、良かったのかなと思っています。
僕はリタイア後も「いまを豊かに生きる」を重視していますが、これは心の持ちようで(大金がなくても)実現できる自分自身でコントロール可能なものなので、「成功」というコントロール不能なものを追いかけて心が不安定になるより、居心地は良いとは感じています。
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