FIRE後に「こんなFIREじゃ本末転倒だ」と感じた出来事が3つあります。
その出来事の2つ目は「経済的制約」です。
それは、やりたいと思っていた趣味や資格取得が、結構な費用となるので、「いまでなくてもいいか」と先送りし、恐らく、やらずじまいとなる「機会損失」です。
せっかくFIREで自由を得ながらも「倹約心に囚われて、本当にやりたいことをやりきらないFIRE生活は、本末転倒ではないか」と思えたのです。
そこで「お金を貯める」というリタイア前の習慣を「お金を使う」へと価値観ごと切り替えるなかで、経済的に自己制限をしてしまう癖を対処しました。
今回はこうした「自由のための過去の価値観からの解放」という経緯や結果を綴りたいと思います。
やりたいことと経済的制限とは
FIREをして何をやりたいかは、人それぞれ、いろいろあると思います。
「食べ歩きが好きだ」、「散歩が趣味だ」、「本を読み漁りたい」、「スポーツ観戦が好きだ」などは、「やりたいこと」のなかでもさほどお金はかからないほうかもしれません。
一方で、よく言われるのが、海外旅行、趣味でもマウンテンバイクやゴルフ、車やバイク、ワイン学校やセスナの資格とか、内容次第ではかなりの額になるものがあります。
そうした高コストな趣味をやりたいと思っても、自分の倹約心がブレーキをかけて「止めておこう」となる場合もあります。
でももし「経済的制約さえ無ければやる価値はある」というものならば、それは、やることで得られる満足感や幸福感などの「利益」を享受せずに終わってしまうので、「逸失利益」となります。
逸失利益とは、本来得られるであろう利益のことです。
こうした逸失利益(あるいは機会損失)は、「やったところでたいしたことはないだろう」と価値を低く見積もりがちな「すっぱい葡萄」の可能性もあります。
それゆえ、本当にやる価値を感じるものならば、経済的理由で諦めることなく、しっかりやっていけるようなFIRE生活を送りたいと思っています。
経済的制限についての価値感
こうした「やりたいことを経済的理由で諦める」ということは絶対に避けたいと常々思っています。
この考えは、遡れば大学生時代からのものです。
学生時代、ある遊びの計画が浮上しても「金欠だから参加は無理」という仲間もいて(大学生なので金欠はよくあることです)、いつも「もったいないなあ~」と思ったものです。
完全リタイアのFIRE生活は、学生時代とは違って資産所得や構築した資産があります。
なので、経済的理由で「やりたいけどやれない」という機会損失は、絶対にないよう、FIRE前の計画段階からかなり織り込んできました。
それがまさか「倹約心」で「やりたいことを遠ざけていた」と気が付いた時は反省をした次第です。
倹約心を抑えるアプローチ
倹約心は、そもそもリタイア前の「目標額までお金を貯める」というなかで生まれた「マインド」であり「習慣」です。
そんな倹約心が、どういった理由で、リタイア前に強く根付いてしまったかを考えました。
すると、サラリーマン時代は「将来のため」という動機が倹約するマインドの源泉で、それは投資にまわすお金を増やすという目標でもあるとの自己分析になりました。
そうした「将来」を軸にした価値観から「今を大事にする」という価値観に変えたり、貯蓄目標を持たないことで行き過ぎた倹約心を緩くするなど、あれこれ対処し、倹約心を抑えるようにしました。
こうして、自由のため「過去の価値観からの解放」を達成した感じです。
この詳細は記事を書いています。
大事なことは納得感
なお、やりたいことをどの程度実現したいかなど、最終的には個人の納得感の問題です。
なので、やりたいことを実現するより、お金に十分に余裕あることが大事だと思う人もいるでしょうし、倹約するプロセスそのものが楽しくて倹約心を取っては生きがいがない、と言う人もいるかもしれません。
ちなみに僕は、倹約心は維持しながらも「お金を使う」という習慣をもっと取り込んで、お金の使い方にメリハリをつけたい派ではあります。
やりたいことに対して経済的制限をどこまでかけるかは、結果的に生きていくうえで後悔がない限り、それが本人にとっては正解だと思います。
終わりに
なお、「やりたいことがさほどない」という方からすると、「なぜそこまでやることにこだわるか?」と思われるかもしれません。
ちなみに僕は、やりたいことを無理やり生み出しているというより、1つのやりたいことをやるとそこから新しく「やってみたいこと」が連鎖的に出てくる感じです。
例えばつい先日、父親の遺品にあった「四国霊場88箇所」の掛け軸や納経帳が中途半端になっていて、その納経帳等の残部分に記録(御朱印のようなもの)を受けるため、寺院巡りをしました。
やりだすと面白くて、宗教の歴史であったり教えについて興味を持つようになりました。
きっかけなんてこうした「たまたまやってみた偶然」からも生まれるもので、最初から「見つけよう」なんて姿勢で見つけたものとも限りません。
こうした新しいものごとが今後も出てくるでしょうし、FIRE前の「やりたいこと」を含めた収支シュミレーションには含まれないコストが、今後多くなりすぎると、資産不足ともなるゆえ注意は必要です。
なお「世間で注目浴びてるから」といった見栄や贅沢でやりたいことを見つけるのではなく、自分基準が出発点です。それゆえ高コストなものごとが多いわけでもありません。
ただ、「自由のため過去の価値観からの解放」をすると、新しいものごとをやるための資金は必要とはなってきます。ランキングも参加してます。参考になったり面白かったり応援して頂けるなら、こちらもポチっとしていただけると励みになります。
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2 件のコメント:
この様な書込大変失礼ながら、日本も当事国となる台湾有事を前に 日本の国防を妨げる国内の反日の危険性が共有される事願います
今や報道は無法国の代弁者となり、日本の国益は悪に印象操作し妨害、反日帰化の多い野党や中韓の悪事は報じない自由で日本人の知る権利を阻む異常な状態です。
世論誘導が生んだ民主党政権、中韓を利す為の超円高誘導で日本企業や経済は衰退する中、技術を韓国に渡さぬJAXAを恫喝し予算削減、3万もの機密漏洩など韓国への利益誘導の為に働きました。
メディアに踊らされあの反日政権を生み、当時の売国法や“身を切る改革”に未だ後遺症を残している事、今も隣国上げや文化破壊等、
日本弱体と侵略に励む勢力に二度と国を売らぬ様、各党の方向性を見極め、改憲始め国の成長と強化が重要で、しかし必要なのは、
日本人として誇りを取り戻し、世界一長く続く自国を守る意識だと多くの方に伝わる事を願います。
WATARU(管理人)です
コメントありがとうございます。
・報道の偏向や印象操作は目に余るものがありますし、個人も先入観や固定観念で情報に踊らされないよう、正しく情報を得る力が大事ですね。日本の教育でも必須科目とすべきと思います。
・日本人として国を愛すること(愛国心)は大事ですが、問題は日本人の幸福度の低さに表れてます。ブログテーマの経済的自由や精神的自由を通じて微力ながら「日本の良さ」も伝えたいとは常日頃感じてます。
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