よく「タイパやコスパ」といった視点で判断する方法があります。
この考え方は適度に運用するのは良いのですが、度が過ぎると、主体性が失われ、サラリーマン生活を不安定なものにしたり、「暇でしょうがない」というFIRE生活にも飛び火します。
今日はこの「タイパやコスパ」の判断が危険となりうることを綴ります。
FIRE生活の送り方パターン
まず、FIRE生活の送り方のパターンとして3つあります。
「なにもやらずにのんびりで十分」という余裕派もいれば「やることが一杯だ」という多忙派もいます。
この2つはライフスタイルの違いで「のんびり」という幸せも「やることあって充実」という幸せもあります。
自分の意思で「主体性」に選択しているので、どちらも幸せな状態だと思います。
ところが3つ目に「FIREをして暇でしょうがない」というパターンもあります。
暇であることをのんびり楽しめるのなら良いのですが「何もできない(することない)」と焦ってしまう状態は望ましくありません。
これはサラリーマン時代から、そもそも毎日を受動的(主体的ではない)習慣を送ることによって、結果としてこうした状態になりうるものです。
それゆえ主体性は、サラリーマン時代から持っておくのがベターです。
なお、主体性とは「選択と判断」を繰り返すうちに身につく「習慣」です。
なのでサラリーマン時代に「タイパやコスパ」という考え方の習慣が行きすぎると、サラリーマン生活が不安定になり、またFIRE・リタイア生活も「することがない」と陥っていきます。
それを順にみてみます。
サラリーマンは不安定だという真実
長い目で見るとサラリーマンって最も不安定な職業です。
なぜなら「サラリーマンは安定している」と胡坐をかいた瞬間から「サラリーマン人生の負のスパイラル」に巻き込まれ、最終的に会社依存な生き方になっていくからです。
会社が安定していればしているほど、個人は「その安定は危険だ」という認識で「前のめりにやる」ぐらいが結果的には良かったりします。
少し大雑把ですが、サラリーマン安定説にある不都合なスパイラルを書いてみます。
タイパやコスパが招く負のスパイラル
会社の安定性に胡坐をかいてタイパやコスパを優先するとこうなります。
①「どうせ給与が貰えるならなるべく働かずに稼ごう」とタイパやコスパ優先で考える
↓
②上司から指示されたことしかやらなくなって自分の主体性の芽を閉じ込める、
↓
③結果、「言われたこともできない」or「言われたことだけやる」というアウトプットに留まり信頼を増やしにくい。
↓
一方で危機感をもって主体性にやる人は・・
↓
④コスパやタイパというリミッターを外し「言われたこと以上をやる」というアウトプットを作り、上司からの信頼を得たり、部下に成果をシェアして、信頼残高を増やす。
↓
⑤新しい仕事のチャンスやポジションは、信頼残高の高い人のところにやってくる
↓
⑥信頼残高との交換で改めてチャンスにチャレンジし、成功するとさらに信頼残高を得る
↓
⑦周囲の応援も受けやすく次々に大事な仕事を成功させる
↓
⑧その再現性に「あいつに任せばきっとやってくれる」と評判や実績ができる
という流れで足場を固める人がいます。
大事な点は、信用とはポジションや肩書にくっついているのではなく個人に紐づくというものです。
会社のなかで個人の信用で生きる人生
つまり、短期的には「安定した給与だから、なるべくタイパ・コスパよく(さぼって)働けば良い」というのは得な判断かもしれません。
ですが長期的には、「タイパやコスパ」を度外視し、目先の短期的利益を捨てて、時間や経済性(時給換算)という先行投資をすることで、仕事を引き寄せ、結果を生み、個人の信頼を作ることもあります。
その結果、会社にいても会社に依存しなくても大丈夫な信頼残高や信用実績のあるサラリーマンとなれば、大きなリターンを得たとも考えられます。
なので、会社の安定に胡坐をかかず、ときにはタイパやコスパのリミッターを外し「主体的に仕事する」という習慣は大事だったりするのだと思います。
FIRE生活にも応用
また、タイパやコスパのリミッターを外すことで、会社のなかで主体的に個で生きるだけでなく、その習慣やスキルをFIRE生活にも持ち越せます。
とくに、会社は役割やポジションを勝手に与えるので、個人としてはあえてそれを作る必要はありません。
ですがFIRE生活ではその逆で、自分で自分のポジションや居場所を作ることが必要です。
主体性のあるサラリーマン生活を送れば、リタイア時に「アイデンティティを失った」とか「自分の居場所がなくなった」と感じにくいですし、「やることがない」といった状態に陥いるリスクも低くなると思います。
終わりに
FIREの醍醐味は、経済的自由を得て主体的に判断しながら生きていくことです。
FIRE生活は「いろいろやれるが働かないだけで十分」という主体的自由も「やりたいことをやる」という主体的自由も価値があります。
でもそれは、長いサラリーマン時代の「タイパやコスパ」といった短期的で衝動的な反応ばかりしてると主体性が実は失われるリスクがあり、FIRE生活を迎えてから気が付いては遅いということもあります。
せっかくサラリーマンとして安定しているなら、そんな植え付けられたような「タイパコスパの型」を自ら壊して、そんな型破りをして、FIREすることも1つの方法じゃないかと思います。
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