リタイア前には想定していたのにリタイア後に却下することとなった「想定違い」があります。
その1つが「リタイア後に家計が厳しい状況に陥ればセミリタイア的に働けば良い」と対策を考えていたのに、リタイアした今は、まるっきり働くことをしたくなくなりました。
つまり「労働に戻れない体質」になったわけです。
今日はなぜ「何がなんでも働きたくない」と思うようになったか、リタイア後の現実について綴ります。
リタイア後の労働意欲の変化とは
労働意欲の変化として、リタイア前の「いざとなれば働けば良い」という感覚からリタイア後は「絶対にもう働きたくない」へと変わりました。
働くといってもサラリーマンに戻ることはもともとリタイア時点では想定はしていません。
片道切符でリタイアしたことは変わりありません。
ですがいざ「家計破綻などのピンチ」になるならばアルバイトとして、例えば、翻訳等の自宅で可能な稼ぎや、友人の仕事を業務ベースで請け負うなどの労働は想定していました。
こうした「いざとなればやっても良い」と思っていたことが、いつしかリタイア後の生活を送る現実の中で「絶対にやりたくない」となりました。
リタイア後の労働意欲が低下した理由
こうした労働に戻れない体質となった直接的な理由が3つあります。
家計破綻危機の低下
1つは、実際にリタイアして「思ったほど生活費がかからない」のと「資産が減らない(資産評価額ベースですが)」といったことです。
家計収支の実態は、さほどリタイア前に想定していたほど悪くならない現実に直面し、これが感覚としても馴染んできたからだと思います。
もちろん生活水準は落とさない前提でのリタイア計画だったので、多少、その水準を落として節約する余力もあれば、自分の余命を考えても、どうにでもなると思えてきています。
責任を負いたくない心理体質
仕事となるとそれがたとえアルバイト的なものでもそれなりに「責任」が生じます。
翻訳作業でも友人の仕事を請け負った場合でも、成果物や結果を納期的にも品質的にも保証する気遣い(=責任)が発生し、それがとても重く感じます。
すっかりリタイア生活という名の「責任を負わない状態」に体も心もどっぷり浸かって労働耐性が無くなったのもあります。
またこれまでのサラリーマン生活で「責任を請負う枠」を心身ともに使い切ってしまったのもあるかもしれません。
といった、お金のために仕事の責任を負う余力が心身ともに消失したが2つ目の理由です。
時間を無駄したくない
また「時間を売る」だけの責任の軽い仕事であったとしても、リタイア後は「時間を無駄にしたくない」との思いが強くなったことが3つ目の理由です。
これは僕がリタイア後からずっと「自由とは」を考えて追求してしまったからかもしれません。
自由を大切にして「自分の時間は嫌なことに1%たりとも使いたくない」といった心境やポリシーができてしまった気がします。
なので労働はそんなポリシーから外れる気がしてたまりません。
いざのバックアッププランがある
これは直接的な理由ではありませんが、実際にリタイア後は資産運用や資産管理も強化し「家計破綻が起こらない」といった確信も増えましたし、一方でいざの「バックアッププラン」の腹積もりもしっかりあります。
以前記事にしたような「物価の安い国で住む」なり「田舎で半自給自足生活」といったことです。
自分らしさを保つには、働くよりもこうしたサバイバルプランでも実行しているほうが「自分らしい人生」だとも思えるからです。
リタイア生活で心の余裕が生まれてきたのかと思います。
終わりに
リタイア前の想定がリタイア後の現実で違ってくるものはいろいろとあります。
今回、家計破綻に備えたいざの労働というのは「良い方向」に違った例ではありました。
この変化を感じたのはリタイアして半年を過ぎたころです。
「もうビジネス関連の資格は取らない」と、ビジネスとは無縁な資格ばかりを取り出したころから持っていた感覚だと思います。
仕事に全力投球中のサラリーマンやセミリタイア中の方に失礼かもしれませんが、僕は仕事へ費やした人生の時間も多いので「これ以上はお金のために時間も労力も無駄にできない」(*)ということも大きいと思います。
*決して労働が悪だとか意味がないということではなく自分の状態の問題です。
それと、これはリタイア後に家計破綻を最終回避するために働くという「労働枠」です。
リタイア生活で「時間もあるから働こう」と趣味やリフレッシュ的な労働は、これはまた別で「アリ」なのかもしれません。ただ僕はまだそこまでの余裕ある領域には達していませんが。
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