先日の記事で、「リタイア後に”こんなFIREは本末転倒だ”と気がついて反省した出来事」を載せました。
そこでは「自由を求めてFIREをしたのに、こんなことでは本当の自由は無い」と感じた3つ出来事です。
その解決に共通するのが「解放」というキーワードで、その3つは「金銭欲からの解放」、「過去の価値観からの解放」、「怠惰な悪習慣からの解放」でした。
この「欲、思考、習慣」という側面で「自分を縛るもの」から解放せずに本当のFIRE(自由)はない、という趣旨です。
いまいちど3つの記事のポイントを振り返り「FIREは解放だ」について考えました。
3つの「こんなFIREは本末転倒」の記事
3つの記事は以下の通り全てが「自由のための解放」というものです。
「こんなFIREは本末転倒」と反省したこと(①精神的不自由)
→自由のための「金銭欲からの解放」
FIREで「心穏やかに暮らす」という自由を得ながらも、実態は、頻繁に株式相場や為替相場をスマホでチェックし一喜一憂するという「お金に囚われた心の状態」でした。
解決策は、投資はせずに資産全体を理想的な構成にアロケーション変更し、「お金に囚われることから解放」しました。
→自由のための「過去の価値観からの解放」
FIREで「やりたいことをやれる」という自由を得ながら、高額な趣味等は先送りするなど倹約心が邪魔をし、逸失利益(本来、やっていれば得られるメリットを、やらずに享受できていない)が発生しました。
解決策は「将来のための貯蓄や投資」という過去の価値観やその行動を緩め、「今を最善に楽しむ」という「現在のための投資」を大事だとする新しい価値観に変えました。
「こんなFIREは本末転倒」と反省したこと(③リタイア特権)
→自由のための「怠惰な悪習慣からの解放」
リタイア直後は、サラリーマン時代にできなかった昼飲みや惰眠などをやるばかりで「本来リタイアをしてやりたいことが手つかず」という本末転倒な状況になりました。
アーリーリタイアの賞味期限(残時間)は有限(僕の場合は定年が65歳ゆえ残時間8年)ゆえ、そんな「体力や気力があるからこそできること」としてリタイア前にリストアップした7つのことを着手し、悪習慣から脱出しました。
自由への解放とは
サラリーマン生活からFIRE生活に入るなかで、価値観やマインドや習慣など、必要に応じて変えてくことが大事です。
変わるべきタイミングは、僕のようにリタイアをしてから「本末転倒だ・・」と気が付いて、そこから対処しても遅くはありません。
ただし、タイミングは気にせずとも「姿勢」はしっかり保つ必要はあります。
姿勢とは、しっかり自分自身を見つめることと、また、「過去の自分の価値観、マインド、習慣にこだわりすぎない」という「柔軟性」です。
自然体であるがままに、自分の心にあるやりたいことにむかって素直に生きるだけで、特別なことを自分に強いるものでもないと思っています。
終わりに
こうした出来事を経験してから「自分を縛るものごとから解放」してより自由な状態となりました。
ところでFIREは「労働やイヤな人間関係からの解放」という「自分を縛る外的要因」について言及するケースもあります。
外的要因は、自分への抑圧としてわかりやすいストレスですが、「自分が自分自身を縛るもの」は案外、ストレスとしては感じなく、解放するのは難しいともいえます。
ときにFIREは「会社や労働、人間関係などのイヤな束縛状態からの解放」という外的抑圧からの解放をFIREの醍醐味として取り上げることもあります。
それも「健康なる精神」には不可欠ですが、そこからさらにもう一層、「自分自身が自分に制約をかけていること」も結構大事で、これをなくしてFIREのもたらす本当の自由はないのではと、個人的に思うようになりました。
FIREの目的をどこに置くかですし、「労働から解放された」ならそこから人生の目的が変化することもあると、自然体でいれば良いと思います。
最終的に、どんな自由を求めるかも「個人の自由」ですし「自分が納得できる状態」が何より大切です。
2 件のコメント:
バカだと思われるんじゃないか?変人だと思われるんじゃないか?軽蔑されるんじゃ?嫌われるんじゃ、きもいと思わるんじゃ?孤立するんじゃ?、、、
自意識はむちゃくちゃでかいよな。これから解放されたら相当違うだろうになあ
WATARU(管理人)です
rekuterさん、コメントありがとうございます。
自意識は大きいですし、自意識は一生つきあう自分のパートナーですからね。
人の目や評価を、度を越して気にしすぎる自意識には、「おいおい、そんな気にするなって!」と声をかけて応援してあげられるのがいいかなと、思っています。
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