耳に入ると心がざわつくフレーズが「仕事が好きだから生涯働く」というものです。
ざわつきの原因は、これは将来の自分を「労働力」として担保にいれているからです。
もちろん、仕事への愛情や気合いの表明程度に使うのなら良いと思います。
ですがもし、老齢となるまで働くことを担保にして、万が一でも「ずっと働くから」と今の浪費を正当化したり、「老後資金は気にしない」と資産形成を投げ出したりするなら、それこそ人生リスクになると思うからです。
今日はこの危険と隣り合わせの「生涯働く」という思考やリスクを綴ります。
熱意とは変化するもの
エネルギーの溢れる20代、30代の頃は「生涯働けるぞ!」といった熱意で将来展望するものです。
ですがそれが30年、40年と経っても熱意を維持し続けられることはかなりの「才能」が必要ですし、現実、稀だと思っています。
同じような例えでいくと「生涯愛します」といったものです。
結婚当時に夫婦で「生涯愛します」という誓いあっても、現実の世の中、高い離婚率が示すように、何十年もの時を経るなかで熱意を持ち続けるのは簡単ではないと思っています。
相手が人間なら歩み寄りもできますし、恋にかわって愛であったり情もできます。
ですが相手が「仕事」だと「情」で仕事を続けることだって難しいものです。
仕事を相手に生涯かわらない熱意を持つことをコミットするのは、かなり慎重に考えるべきだと思っています。
価値観も変化する
同様に「価値観」も変化します。
若い頃に「キャリアのために〇〇を捨てる」と踏み切った人も、いずれ価値観が変わって、本当にキャリアのために人生を捧げて後悔ないのか?と路線変更をする人も多く見てきました。
若いころには犠牲をいとわず打ち込めても、加齢とともに「生きる意味」を問うようになります。
「仕事が好きだから生涯働く」という仕事観も、生涯変わらないとは限りません。
解決策はFIREだ
こうした熱意や価値観の変化なんて生きていくうえでは十分に起こりえることです。
「仕事が好きだから生涯働く」というのは、生涯現役でFIREはしないという対極のことを、表面的には、言ってるようなものです。
でも実は、FIREはそんな生涯現役の対極というより、生涯現役の補助的解決策だったりします。
FIREのFI(経済的自立)を達成することは「生活のための労働義務」から解放されることになるからです。
高齢になって「仕事が好きだから生涯働く」という選択も、仕事を辞めるという選択も、どちらも取れるというのがFIREです。
「仕事が好きだから生涯働く」と自分の将来を担保にするより、担保にするのはFIREにして、結果的に「仕事が好きだから生涯働く」かを自分の人生の成り行きで決めるほうが何倍も良いと思うからです。
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