経済評論家の山崎元(やまざき・はじめ)氏は、先日の1月1日、食道がんのため65歳で死去されました。
ご冥福をお祈りいたします。
山崎氏は資産運用や経済全般の分析評論が専門で「ローコストのインデックス型の投資信託をNISAで長期積み立て」を推していた人物です。
金融業界に忖度もなく、個人投資家や消費者目線で「業界の問題に対する”怒り”を原動力として正しく批判する」を実践することを自分のミッションと述べています。
「正義の愉快犯でありたい」というユニークさや、理性的で合理的なバランスのある方です。
今日は、同氏のFIREに関する鋭い批判と、その裏にある同氏の志を振り返り偲びたいと思います。
山崎元氏のFIREへの指摘
同氏のFIRE批判は「守銭奴型のFIREでは人生がつまらない」というものです。
若い会社員がFIREを目指すと、自分の人的資本が過小投資することを懸念しています。
人的資本への投資不足とは、「仕事に楽しさを見い出そうともせず、知識、経験、人間関係などの”将来の自分の価値を高める投資”もせず、若い頃からひたすら節約をして投資だけで生きると、たとえ小さなFIREに至ったとしても、そんな人生はつまらない」というものです。
それゆえ「目標とすべきは人的資本でリスクを取り面白い仕事でより多く稼ぐことだ」という主張です。
僕はそれを正論として賛成しつつも、「守銭奴型の節約FIREであれ、そこに創造性や工夫をして本人が楽しく幸せにやっているのならそれはライフスタイルとしてはアリ」と思っており、すべてに賛同しているわけではありませんでした。
ちなみに同氏は
若い頃にストックオプションででも稼いで、一生お金の心配はないといった状態でFIREを宣言するような爽やかで本当にアーリー(E)なリタイアをする人がいれば見事なものだと感心してもいいのですが、こういった人はビジネスに関わることが好きなので、あまり早期のリタイアを宣言しません。
(ソース:山崎元がホンネで回答「FIREに難色、なぜ?働き続けたい理由は?」)
とも発言しています。
根っからのビジネスセントリックな方ゆえ、どこかそれが「ビジネス成功者が自身の成功体験を押しつけている」とか、「日本の将来に希望を持てない人への経済評論家としてのポジショントークだ」と思っていました。
そんな同氏への認識が根底から覆ったのが最後の手記です。
山崎元氏の生きざま
癌の再発によって余命宣告を受けていたなか、それでも同氏は精力的にメディアに露出しご活躍されていました。
お亡くなりになる1週間前(2023年12月25日)、NOTEに投稿した最後の記事の最後のパラグラフに生き様が垣間見れました。
(余命が)1か月ともなると、向こう側からも時間がこちらに迫ってくる感じがする。しかし、このような時こそ、原理に立ち返るべきだ。最期の日のぎりぎりまで幸福は追求できる。一方、他人はその人を過去の業績その他で評価しようとするかも知れない。実は、このズレを上手く利用することが良い人生を送るコツになるのではないか。「本人」にとって、他人からの評価は「サンクコスト」に過ぎないからだ。
いくら努力しても過去の蓄積を「本人」は将来に持ち込むことが出来ない。過去は「他人」のもの、最期の一日は「本人」のものだ。お互いに機嫌良く過ごす上で邪魔になるものは何もない。
上機嫌なら全て良し、と思うがいかがだろうか。
闘病の中での思いや洞察は、切れ味も気迫もすごくて、心にガツンとくるものがありました。
記事ソースはこちらです。
終わりに
やはり山崎元氏は最後の瞬間まで自分を俯瞰し冷静に洞察され発信をしていました。
「今を生きるのは自分、過去は他人のもの。」
そんなを過去を振り返らない潔さも、正しいことを広く世に伝えようとする心意義も、死の直前まで消えることなく燃焼させるその魂に「志(こころざし)」が溢れ出ているように思いました。
同氏の節約FIRE批判の根底は「せっかくの人生、ちまちま節約などをしてお金の支配を受けるより、人的投資をしてそこから解放されてるべき」という「経済的自由の精神をもった生きざま」で「自由への愛」だったと、あらためて記事を振り返り気が付くことができました。
そうした考え方にとても共感できて、改めて志の高さに敬意を表します。
勇気をいただきありがとうございます。
そしてどうか安らかにお眠りください。
ランキングも参加してます。お金に囚われない自由なる志をもって生きることの大切さを同氏は説いていたと同意の方は、山崎元氏の生きざまを偲び、ポチっと追悼をお願いします。
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