次の3月末で早期リタイアから丸2年経ちますが、ふと、早期リタイアのきっかけとなった2つの出来事を思い出しました。
出来事といっても仕事中に感じた他愛もない違和感です。
コロナ禍で心が少し蝕んでいたのもあったのかもしれません。
その出来事は、①なんら向上している気がしない「停滞感」と、②2,3年先も今と変わらない仕事の日々が続いていると感じる「閉塞感」です。
一方で「早期リタイアをしたら生活ががらっと変わっておもしろいかも」という期待感もあってリタイアする決意が固まりました。
今日はこの早期リタイアのきっかけになった2つの出来事を綴ります。
早期リタイア直前の状態
僕はもともと40代後半にFIREのFI(経済的自立)をしましたが「とりあえず後悔のないところまで仕事をやり切ろう」と早期リタイアを先延ばしにしていました。
仕事を辞めたら二度と戻れない片道切符だと思うと後悔だけはしたくないと思ってしまいました。
良かった点は経済的自立からの仕事の日々は気楽だったことです。
「いつでも辞められる」と思うと仕事の重圧が不思議と空気のように軽く、「もう仕事は十分と思えばRE(早期リタイア)しよう」と割り切っていたからです。
そんな状態ながらコロナ禍に入り、仕事も私生活も特殊な環境になってしまいました。
仕事で赴任中の国はロックダウンでまるで外出できなかったのです。
そんな環境で前述の「2つの出来事」が起こったのです。
仕事での停滞感
当時は完全リモートで自宅マンションに閉じこもってオンライン会議や資料作りの日々でした。
ある日、資料を作りながらふと「そういえば何ら新しいものを作り出していない」と妙な感覚がありました。
資料作りがワンパターンというか、ちゃんと必要なステップ(情報収集し、分析し、アイデアを議論し、結果をまとめる)は踏みながらもそんな「流れ」そのものが進歩がないと感じました。
資料の中身は違っても、結局、仕事の進め方も問題の解き方もワンパターンでまるで「進歩がない」という「停滞感」です。
仕事での閉塞感
さらに数日後、今度は資料を作りながら「きっと2年後も3年後もこうして同じようなことをしているのだろう」と、この先、行き詰まっているような「閉塞感」を感じました。
数年後にどんな仕事をしているかがイメージつくというのは、FI(経済的自立)をする前だったならどこか「安心」だと感じるかもしれません。
ですが当時、そもそもコロナ禍で閉塞感があったうえ仕事も「行き詰まってる」といったダブル閉塞感でかなり萎えました。
すると自然に「もうこの先は新しいもの生み出せず、貢献もできず、自分にとっても時間の浪費になる」といった敗北感が強くなりました。
コロナ禍でなければ仕事を辞めていないかも
といった出来事をいま振り返ると、コロナ禍で心が荒んだ面もあるとは思います。
でもそれは幸運なことで、なぜなら「もしコロナ禍でなければ今でも仕事をしていたかも?」なんて思うし、すると今度は逆の意味でぞっとなるからです。
アーリーリタイアはまるで後悔もないですし本当に良かったと思っています。
コロナ禍でなければ「辞めるに辞められない」となっていたかもしれません。
結果的には運が良かったと思います。
終わりに
世の中には「FIREできるけどなんとなく仕事を続けている」っていう人は結構いらっしゃると思います。
現状に不足がないと、変化を望まずそのまま現状維持に甘んじてしまうものです。
僕にはコロナ禍という外的変化もあってFIREに簡単に踏み込めた部分がありますが、やはり大きな判断にはなんらかの「きっかけ」が必要なのかもしれません。
いま、FIREできるけどFIREをしていないという人は長期休暇なりをとって自身の環境を変えてみるのも良いのかもしれません。
それで会社からお咎めを受けるなら、それもいっそう辞めるきっかけになるでしょうし、うまく休暇を取れたら自分を内観することに使えば、休暇も取り損は無いと思います。
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