80年代後半のバブル全盛期、密かなリタイア(脱サラ)ブームがありました。
その当時のセミリタイアブームを振り返ると、今の株高でのFIREとして気を付けるべきことも見えてきます。
今日はそんな80年代バブル期のセミリタイアを振り返ります。
80年代後半のセミリタイアブーム
当時は55歳が定年で、アラフィフなる年齢層は株・不動産の儲けや退職金を使って独立起業(脱サラ)をするブームがありました。
その1つのパターンが「地方でペンションを開く」というセミリタイアです。
軽井沢周辺(清里など)に小規模な自分好みのペンションを開業し、従業員を雇って経営をしながら自然のなかでリタイア生活を謳歌する人たちがいました。
ですがそんなペンションも多くが廃業し、清里は昔のも荒廃した街となってしまいました。
観光客が激減したことも、オーナーが高齢化したことも理由だと思います。
当時、そんなペンションに宿泊した時に仲良くなったペンションオーナーも既に廃業しているようでとても残念です。
当時のペンションオーナーのセミリタイア観について少し取り上げます。
当時のセミリタイア観
当時の清里にあるペンションオーナーのセミリタイア観はなんら奇抜ではありません。
オーナーが語っていたペンション開業の理由は「会社の束縛から解放され自分らしく生きていきたい」という気持ちで独立したとのことです。
「会社員として来る日も来る日も仕事に没頭する生活より、こうして大自然のなかでゲストを迎えて日々を過ごす生活こそやりたかったものだ」ということです。
当時、まだ大学生でこれから就職活動という段階の僕にとっては「会社から自由になる」という部分はピンときませんでした。
それでも大自然のなかでゆっくり過ごす、という生き方は、なるほどこういう人生もあるのかと印象に残っていました。
いま思い返しても、いつの時代も「会社に使われるだけの人生ではなくて、自分の理想とする生活を送る願望」があるのだと思います。
ただ、それをどう実現するかで、大きな分かれ目があります。
ペンションのあった清里の末路
ペンションがあった「清里」という街は、八ヶ岳の一角にある「高原にある原宿」と呼ばれた場所です。
駅前は土産物屋からお洒落な飲食店、濃厚なアイスクリーム等のスイーツ、ミュージアム、無駄にゴージャスなオブジェやお城をまねた建物など、とにかく「ザ・バブル」なる街でした。
芸能人(北野武)も現地にお店をオープンするなど、とにかくメディアでも注目されていた場所です。
夏場の最盛期となると車の渋滞がひどすぎてまるで動きませんが、そんなことも気にせず若いカップルは「聖地」を楽しんでいたものです。
そんな駅からほど遠くない場所にペンションがたち、オーナーが元サラリーマンというケースが多いという統計から当時にとっては「セミリタイアの聖地」なる場所です。
それが急に廃れたのはなぜでしょうか。
清里が衰退した理由
ちなみに清里の近くにある軽井沢は今でも賑わいのある街として栄えています。
清里と軽井沢の差がでた理由として指摘されているのは「交通のアクセス」であったり「ブランド」だったりします。
地元の人にすると「以前の清里に戻った」というだけで、そもそもが一過性のバブル的なブームだったのかもしれません。
ブームに便乗し居住地を移してペンションオーナーとなった人は、そんな地域の衰退を背負う苦難な人生になってしまったわけです。
もちろん、観光客が激減するなかペンション経営とは関係なく、八ヶ岳の自然の多いその清里周辺でリタイア生活を送るというのは素敵だと思います。
終わりに-セミリタイア的な教訓
今は当時と同じく株高でバブルっぽい面もあります。
こんな原資もでき思い切って「会社を辞めて地方に行ってセミリタイアしよう」なんてことを目指す人もいると思います。
でも大事なのは「場所x収入源」です。
当時のバブル期からの教訓は、一過性のブームに乗って、そのブーム(観光客)をセミリタイア生活の経済原資とするのはリスクが高いということです。
今でいえば海外からの外国人旅行者の人気スポットで外国人相手のセミリタイアに依存したモデルかもしれません。円高に触れたり、再びコロナのように越境が困難となると一気に廃れる可能性もあります。
今はリモートで仕事もできますし稼ぎ方は多々ありますが、「場所x収入源」が持続可能かは注意を払わないといけません。
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