世間のニュース記事などでFIRE批判は度々みかけます。
批判のポイントは、
・経済(労働力として社会に寄与しない)、
・納税(納税せずにフリーライド)、
・社会倫理(勤労;国民の3大義務違反)、
・社会模範(働かない大人)・・等々です。
こうした批判は建設的な議論の余地もあるので悪いものではありませんが、困ったのは「FIREなんてずるい」というものでした。
これは記事ではなく僕が対面で受けたもので、どう反応して良いか困りました。
今日はこの「FIREなんてずるい」について綴ります。
FIRE批判は記事だけの世界とも
まず、FIRE批判記事はネットでは時々目にしますが生活周辺ではさほど聞きません。
気心が知れた知人友人は、僕がFIRE生活をしているとそれぞれの興味ポイントでリタイア生活について聞いてきます。
内容は、時間の使い方、リタイア前後での生活費、資産をどう保っているか、リタイアだからこそやれること、孤独、後悔すること・・などです。
誰もが自分の時間を大切にしていて、どうやって「今の置かれた環境(お金とか)で生きがいある時間を作るか」と、バランスを探している感じです。
東京という過密社会で独身という孤独な属性で生きてる「共通課題」なのかもしれません。
だからこそ知った相手の経験談を直接参考にしたいというように思えます。
「FIREなんてずるい」という反応について
そんななかで過去に1度だけ「FIREなんてずるい」との反応がありました。
ネガティブさはなく「仕事をしないで生きてくなんてずるぅ~い」ぐらいなニュアンスです。
それは「自分はヘトヘトに働いて大変なのに働かずに暮らせるなんてずるい」という「不公平感」です。
でも僕としては不公平と思われると少し心外です。
FIRE実現における公平性
経済的自立も早期リタイアも、この日本では誰でも自由に目指すことができます。
ですが浪費ばかりしたり、投資リスクを取らなかったり、目先の楽しさを追求してばかりだと、当たり前ですが、それだけゴールは遠のきます。
与えられた機会の中で公平なので「我慢」や「リスク」を選んで将来に備えるか否かの結果だと思っています。
言いかえると、「アーリーリタイアは我慢やリスクを先食いして浮かせた時間」というものだと思っています。
早期リタイアをしたので時間的には勤労年数は少ないですが「総労働時間」では一生分は働いた気もします。
金銭的にはも浪費をせず、大きな投資リスクも取ちゃ上で運が加わって今があると思っています。
なので今の回収期間中の状態だけを見て不公平と言われても、ちょっと残念には思います。
大変な仕事から抜け出したいという気持ちの表明
でも恐らくご本人は、ご自身の「大変な仕事から抜け出したい」といった気持ちから出た「ずるい」だと思います。
なので冷静に受け止め誤解を解こうとはしませんでしたがもうちょっと「想像力」はあって欲しいなとは思いました。
人生いろいろあるのに「あなたは楽ができて運が良い」と片づけられるのはちょっと短絡すぎる気がするからです。
例えば、
・仲の良い夫婦を「相性が良いだけ」と幸運で片付けるより、その裏に夫婦が乗り越えた苦労も沢山あるだろう・・と想像したりとか(僕は家庭生活に失敗しているのでなおさら大変さはわかりますが)、
・役員に出世して「僕は運が良かっただけですよ」という人も裏では人並以上の努力も犠牲もしていると想像できたり、
・大谷選手の活躍だって持って生まれた素質だとせず「その裏では辛い練習や負けて泣いたこともあっただろう」と想像できたりとか・・です。
人生って単純に運や素質だけで上手くいくものでもありませんからね。(でも僕は凡人だから努力や苦労無くして得たいものは得られないという発想なのかもしれませんが・・。。)
終わりに
FIREは世間からみても普通の生き方とは違いますし、批判もあれば「FIREはずるい」との反応も当たり前にあります。
経済的自立や早期リタイアを目指したり投資リスクを取ってきていない人には「仕事もせずに楽に生きてる」という過程の大変さはピンと来るはずないでしょうから、そこはこちらも冷静に受け止め暖かく見守るしかないのでしょうね・・。。
ただ批判するならその前にもうちょっと「想像力」を持てよとは思ってしまいます。
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