よく「FIREは孤独だ」とネガティブな意味合いで使われていることがあります。
ですがこの孤独というのはいろいろな面があり、必ずしもネガティブなものではないどころか僕の場合はポジティブに捉えています。
また孤独と少し違ったもので「孤立」がありますが、孤独と孤立を混同し「FIREは孤独だ(孤立してしまう)」とのニュアンスを指している人もいます。
ということで今日はFIRE生活での孤独と孤立を考察して解像度を上げたいと思います。
FIRE生活が孤独だという実態はなにか
まず、FIREが孤独かどうかはかなり個人的な主観によるとは思いますが、孤独だと感じる要素を概ね3つぐらいに分けてみました。
すると、①寂しさ、②退屈さ、③空虚さ、にわけられてます。
①寂しさの孤独
会社を離れると日々、職場で交わすような会話がなくなり、どことなく寂しく、FIREは孤独だという人です。
②退屈での孤独
FIREによって時間が増え、それをどう対処して良いかわからないがゆえに、時間を持て余すことからくる「1人で孤独だ」といった感覚です。
③空虚さの孤独
会社での自分の役割や居場所があったがゆえに、FIREをすると空虚感(アインデンティティロス)を感じるといった孤独もあります。
自分の居場所がなくて寂しかったりやるせなかったりと、心にぽかっと穴があいた感覚です。
FIRE生活が孤独というプラスな面
これら3つについてはポジティブに捉えられる人もいます。
寂しさ(①)は、職場での同僚とのコミュニケーションがなくなるというより、職場での気遣いや煩わしさがなくなり気楽になったとポジティブに捉える人もいます。
退屈さ(②)も、FIREによって得られる大量の時間を有効に使える人にはポジティブなものでしかありません。
空虚さ(③)は、会社という看板や自分の役割などの重荷が取れたと考えられる人にはポジティブですし、そもそも会社が心の拠り所でもなんでもなければ空虚さは生まれません。
以上、考え方や感じ方でネガティブにもポジティブになりうるものが「孤独」というものですし、僕も孤独はポジティブに捉えています。
孤立は孤独と違う
そんな孤独に対して「孤立」はまた少し様相が変わります。
孤独が選択的にポジティブに捉えることができる面がありますが、孤立は人間関係や社会とのつながりが断絶されたり自分の居場所を失った状態でネガティブな感情やストレスが伴うものです。
なので「FIREで孤独で耐えられない」というのは「社会で孤立した状態が嫌だ」とか「時間が余り過ぎて暇」という状態だとさらに孤立を意識してしまうのかもしれません。
孤立の善悪
そんな孤立はFIREで解消できるケースもあると思います。
会社生活そのもので孤立を感じていた人(仲間外れやパワハラなどのいじめ的な意味で)は、会社生活から離れて転職なりFIREをすると孤立を解消できるかもしれません。
孤立もどういった状態からくるものかによってFIREが必ずしもデメリットにはならないともいえます。
終わりに
孤独や孤立というのは自分と社会とのつながりや居場所といった依存関係によってポジティブにもネガティブにもなりますし、自分と自分との関係(1人時間への耐性)がどの程度あるかも大きなポイントになります。
なのでFIREそのものが孤独や孤立を生むものしてFIREを非難するのは的外れで、なにより自分にとってFIREがどういった作用をするかが大事です。
最終的にFIREのデメリットや適性は、他人の情報(僕の情報も含め)に左右されることなく、自分との対話と自己理解がしっかりできていればその判断はきっと正解なのだと思います。
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