先日のABEMA PrimeでFIRE失敗に関する座談会がありましたが、なんとも言えない後味の悪さがありました。
FIREの失敗例として参加した2名(カイトさん、あんぱんさん)とコメンテータ側はひろゆきさんやカンニング竹山さんなどが参加しました。
その討議の様子は、世間的にも名の知れた成功者が寄ってたかってFIRE達成者(失敗経験者)を袋叩きにするような感じです。
そのやりとりで感じた違和感は3つあって、
① FIREやその生活スタイルを小馬鹿にした品格のなさ、
② コメンテータのFIREに関する理解のなさ(FIRE=豪華に遊んで暮らすこと)、
③ FIREの良さが伝わっていないこと(誤解されたまま)、
です。
今日はその番組で感じた3つの違和感を綴ります。
FIREを小馬鹿にしているムード感
まず1つ目が「FIREやその生活スタイルを小馬鹿にした品格のなさ」という違和感です。
番組で寄ってたかってFIREを小馬鹿にしたムードが漂いました。
特に気にかかったのが、FIRE達成者の平均的な資産が3000万円といった参加者(あんぱんさん)の指摘に対して嘲笑めいた反応がありました。
(たった)3000万円でFIREできるのかっといった驚き(主にひろゆき氏)だったり、そんな節約生活をして生きていくことで未来ある人生を蔑ろにしていいのか、長期休暇を取ればそれで済んだのではという批判(カンニング竹山氏)などです。
番組の内容以前にまずはそんな雰囲気から嫌な感覚を持ってしまったという感想です。
FIRE観のギャップ
2つ目の違和感が「コメンテータのFIREに関する理解のなさ」です。
そもそも上記のようなコメンテータの反応が出たのは、コメンテータは「FIREとは悠々自適にお金に困らず生きていくものだ」といった理解をしているからです。
FIREの定義でもあり認識について、討議の出発時点からコメンテーターと参加者のギャップがありすぎるのが問題であると感じました。
例えば、ひろゆき氏は「そもそもまるっきり働かずに悠々自適に生活でき、お金に一生困らず生活できる」とFIREの理解を披露しています。
それゆえ参加者のカイトさんが「サラリーマンを辞めて投資や資産運用をしながらFIRE生活を送ることにした」との発言に対して「投資家と何が違うのか?(=働いているではないか)」「そもそもFIREしていないのでは(=利確もせずふわふわした状態のままは経済的独立ではない)」という反応です。
これはひろゆき氏に限らずカンニング竹山氏他も同じ認識で「FIRE者の平均的な資産は3000万円だ。節約生活を送れば年300万円で十分。」(あんぱんさん)という、そんな働かないことを重視した姿勢にカンニング竹山氏は「それの何が楽しいのか?一度っきりの人生なのにそれでいいのか?もっと楽しんだらどうなのか?」といった反応です。
どれも一方的な「こうあるべき」といった個人の認識に基づいて、FIREをした本人の意図や暮らしぶりなどを批判というか否定する感じの発言に聞こえました。
FIRE民のメッセージ
そして3点目が「FIREの良さが伝わっていないこと(誤解されたまま)」です。
やりとりを見る中で、FIRE民側の思いやその生活の良さがもう少し上手く伝わる司会進行や番組構成になれば良かったとは思います。
ちなみにFIRE失敗という切り口ながら、どうも実際のところ、とくにあんぱんさんの例では失敗には見受けられません。
FIREをしたがあまりに暇であり、また周囲の働く人たちから自分が取り残されているといった不安から「自主的」に仕事に戻ったわけです。
お金が必要で働かないといけないのではなく、自分の自由な選択のなかで働くということを選んだだけです。
FIREは経済的自立のうえで自分のやりたいことをやる自由があるわけで、どうもそれを「失敗」と取り上げるのも違和感がありますし、そうした選択肢がFIREだということがもっと理解されると良かったなとは思います。
コメンテーターと出演者でFIRE認識がずれているうえ、番組企画側も「失敗」にフォーカスしたいなど噛み合わない点があるので少しFIREの良さが理解されるのは(少なくても誤解がないようにするのも)難しかったかもしれません。
終わりに
今回の番組はいずれにしてもモヤっとした気分で見終えました。
コメンテーターの誰もがFIREとは「お金に一切困らず悠々自適に暮らすもの」というものだと認識していたことは驚きですし、そんな意味では悠々自適の対極にあるリーンFIREが取り上げられたのは良かったと思います。
それはリーンFIREを知らしめるという意味ではなく「社会のレールに乗っかったままの人生ばかりじゃない」という意味合いです。
FIREのメリットは「経済的自立をすれば人生の決定権を自分が持ち、居心地よく生きられる」にあると思っていて、そんな多様な生き方があると伝わることで夢を持てる社会になればという意味合いです。
それゆえリーンFIREを小馬鹿にした雰囲気はやるせなく、もう少し司会進行や構成が練られたら良かったのにと残念に思った次第です。