完全リタイアから2年経過しリタイア当初の「新鮮さ」はありません。
ですが代わりに超単純な理由でリタイアの良さを実感しています。
それは「明日も良い日がくる」といった感覚です。
今日はその感覚について綴っておこうと思います。
明日も良い日がくるという感覚
この「明日も良い日がくる」というのはとてもゆるい感覚です。ゆるいというのは自分に無理して「明日も良い日だ」とマインドコントロールしているわけではないということです。
単純に、自然に、そう思うだけです。
それを少し掘り下げたら3つの理由があって、
①義務や恐怖がない、
②コントロールされない、
③結果よりプロセス(いま)が全て、
となります。
それぞれ説明します。
義務や恐怖がない
サラリーマン時代には当たり前に背負っていたのが「目標」です。
それは「会社の目標」に紐づいているので自分が勝手に設定したり無視したりできません。
会社で生きていく限り「達成しなければならない」といった義務感も、「達成しないとヤバい」といった恐怖心もつきまといます。
リタイアをするとそんな義務感や恐怖心から解放され「明日も確実に嫌なことは起こらない」という安心を感じられます。
コントロールされない
また目標には憂鬱さがあります。
それは他人(会社)によって設定評価されることです。
時には「その目標って意味あるのか?」という納得感の無さや「目標に踊らされている」といった束縛感もあります。
目標が自分の問題意識と一致しないこともあれば、達成したからとて「きちんと評価されない」もありえます。
それゆえ会社の目標を背負わなくて良いリタイア生活では、「明日も確実に自分の好きなこと(意向)を突き通せる」という自由を感じられます。
結果よりプロセス(いま)が全て
そして会社の目標があるとそこに辿り着くプロセスを考えてしまいます。
いまの時間をどう効率的・効果的に使うか、あくまで目標への進み具合を基準に、その進捗を測り、ルートを見直し、修正を重ねる日々になります。
その途中でもし辛い時は「これを乗り越えれば向上できる」とか「達成できたら〇〇だ」と目標達成で得られる「欲」を掻き立て自分を鼓舞しなければいけません。
なのでサラリーマンを辞めると、そんな「苦難」も捨てますが同時に「欲」も捨てます。
そして代わりに「自分の時間」を得るわけです。
しかもその「時間」は思い通りの「体験」に交換可能です。
目標に辿り着くために今をどう効率的・効果的に使うかなんて発想はなく「今やりたいこと」にただただ従いながらその「時間」を「体験」に替えます。
実際、この2年間のアーリーリタイア生活では趣味から習い事、資格やテスト、親孝行等の大切な人への恩返しなど、いろいろな「体験」に時間を替えてきました。
リタイアをして苦難も欲も一切捨てたうえで「明日も確実に100%の自分時間が来る」との連続で日々が成り立っています。
そんな「時間」という価値を強く感じられるのです。
終わりに
以上の通り、完全リタイアをして良かったと思う単純な理由は「明日も良い日がくる」という感覚です。
それは自分の意思で会社を辞めることで「目標」ともども捨てたところから、
①「義務や恐怖」から解放されて「明日も確実に嫌なことは起こらない」
②「他人によるコントロール」もなく「明日も確実に自分の好きなこと(意向)を突き通せる」
③そして「明日も確実に100%の自分時間が来る」
と思うのです。
それが 「明日も良い日がくる」 という感覚の正体です。
でもきっと若い人やバリバリの洗脳状態のサラリーマンだと「へ、それで!?」と思うかもしれません。
なにを甘いこと言ってんの、と。
ですがこの程度の他愛もない感覚でも十分に喜べる体質になるもので、それは「目標」といった不自由で時に理不尽なものを長年持たされていたからとも言えます。
目下、大変な時間をお過ごしのサラリーマンは日々「いつか自由を堪能できる感覚の芽」をすくすくと育てているわけで、報われる時が必ず来ると思います。
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