セミリタイア界隈でも「おひとりさま特権」を謳歌している人は多いと思います。
そんな僕も遅ればせながら独身リタイア民として2年間の自由気まま生活を送っています。
ですが今日は「それ」の行く末を怖く思う1日となりました。
80代半ばの年老いた母親を連れて総合病院の診察に行ってほぼ1日を過ごしたのです。
日頃とは違う場所で違った体験をしながら思ったのは、「元気な今は ”自由気まま” と言っていられるが、80代のリアルは自分で何ひとつできない ”不自由なる要支援" という世界だ」という事です。
今日はこの体験を綴ります。
高齢者の日常生活の不便さ
このところ80代半ばの母親が1人で住んでいることに不安を感じていました。
それは、
・耳が聞こえにくい(やかんの沸騰音が聴こえていなくて放置しがち)
・目がみえにくい(郵便物も読みにくかったり、家の中のモノでつまづきかねない)
・手に力が入らない(ペットボトルの栓をぐるって回してあけられない)
・記憶が抜け落ちる(僕が母親宅に顔を出すと話しても到着したら忘れていて驚いている)
・日頃飲む薬をきちんと飲めていない
といったことです。
要は五感の機能が損なわれて生活が不便だったり危険だったりするわけです。
もちろん事故が起こらないよう沸騰を放置したら自動検知で火が止まるとか、ツールを使ってペットボトルを空けられるとか、何らかの文明の利器での対応はできています。
部屋も綺麗に掃除し、戸締りもし、水分も取って熱中症対策もできています。
とはいえ1人で住んでいるのを不安には感じてしまいます。
そんな母親も30年前は元気で、友人たちと海外旅行から国内全国制覇と「自由気まま」だったわけです。
病院での対応
先日から目が見えにくいという事で緑内障の疑いから診察を進めています。
結果として緑内障手術を受けることにしたわけですが僕がいなければこうした対応から手続きはできなかったと思います。
気づきから通院まで
もともと目が見えにくいというのは本人は自覚しないものです。
じわじわと悪くなるのでそれに慣れてしまい悪くなった感覚がないのでしょう。
ですがそんな様子をみて僕が近所の眼科の受診手続きをし、受診に立ち会い、総合病院の紹介状を貰い、そしてアポを取って訪問したのが今日です。
リタイアにて時間があるゆえ最短日程で平日訪問したわけですが、もし仕事をしていたらここまで迅速には実現していなかったと思います。
というか母親単独であれば目が見えにくい状態を自分でも放置していたでしょう。
総合病院まで車を出し、血液・X線・その他の診察を次々に病院内を周っては受けるのに付き添います。次はxx番、その次はxx番。。。一人じゃとても困難です。
判断力
診断結果をもとに医療処置についてお医者さんと検討します。
病気を放置するリスク(例えば失明)と、手術を受けるリスクを比較し、その可能性や問題の重要性を聞きながら対処策を決めるわけです。
とても高齢の母親1人では無理なことで、せいぜいお医者さんに「お任せします」との対応になってしまうでしょう。
これではお医者さんとしても困ってしまうはずです。
手続き
そして病院における各種の署名(同意書)など、本人と本人以外も必要だったりします。
これが「おひとりさま」だったら果たしてどうするのか。。
そんなことも思いました。
1日を終えてクタクタに
そんな忙しい1日を朝一番から開始し終わったのがもう午後でした。
お腹が減ったということでランチに連れて行ったのですが、なぜか母親が食べられたのはほんのわずかでした。
もともと老齢で食欲が落ちているうえ、今日はクタクタに疲れて食べられなかったのかもしれません。
そんな様子をみるなかで「これを全て1人でやるのはとても無理だ」と感じました。
30年前は元気に旅行三昧を楽しんでいた母親を思い出すとそんな「不自由なる要支援」の状態が不憫でありながらこれが現実だと思った次第です。
自分だって今は「自由気まま」なんて言ってますが・・。
既婚も独身も関係ない
こうした状況になるのは既婚とか独身とかは関係ありません。
母親の場合は父親に先立たれ今は1人で生活をしているわけです。
もちろん息子である僕がいるのでサポートができていますが、既婚であってもパートナーに先立たれて一人っきりの生活ならば独身と同じです。
よく「お金があれば何でも解決できる」という話はあります。
確かに介護施設に入所していれば誰かがこうした付き添いをするのかもしれません。
後見人をつけてやることもできますが費用もかかるし実態はこういったものです。
FIRE後の老後資金延命-成年後見制度が不向な理由(経験談)
終わりに
自分はいま「自由気まま」な毎日を送り、心のどこかでも「ずっと続く」という気がしています。
ですが高齢になると、想定以上に五感の機能は衰え、体力や気力も落ち、医療機関へのアクセスだって困難となるわけです。認知で薬の摂取も問題も出る可能性があります。
なので僕も「自由気まま」ないまが30年後には「不自由なる要支援」になるのかもしれません。
その落差は会社人生の30年(新入社員からリタイア時点の差分)とは大違いの「落差」です。
かといって母親もそうですが僕も子供に頼りたいとは思いません。自分でできることは自分でやりたいという意向です。
そうは思っても人に頼らずに「自由気まま」を通すことは、気合ではどうすることもできない「加齢」という残酷な行く末が待っているかもしれません。
待合室で待機中、母はある記憶をスケジュール手帳から探していました。
なるべくボケないようになんでも手帳に書き込んでいるようです。
目に薬をいれて見えにくい母親に代わって僕が手帳を受け取りぺらぺらめくって情報を探しました。
色々書きこまれていました。
「今日は息子と珍しいxxを食べておいしかった・・」など、僕は頻繁に母親をランチに連れ出すので、そういった感想も欠かさず書いていました。
そんなランチは母親にとって、昔の「自由気まま」な頃のような体験と重なって嬉しいのかもしれません。
母親の記憶はなくなるかもしれませんが、僕がいまできる「ささやかなる抵抗」は、僕が自由気ままに親をランチに誘って喜ばすことだと、気づいた次第です。
↓