完全FIREをして有り余る時間を持つと自分が根っからズボラかどうかがわかります。
なにしろ会社員のような目標を強制されるでもない自由な日々で、時間もたっぷりあるからです。
その時間の使い方で本性が出てしまうというものです。
ちなみに僕は時間を持て余していた大学生の頃、ズボラ三冠王として「大雑把」、「怠慢」、「先延ばし」を勝ち取っていました。
根っからのズボラと自認していたのでリタイア後もタイトル奪還と思っていました。
ですが現実そうは簡単に物事が運びません。
今日はそんな、ズボラな気質がリタイア後にどうなったか、またそこから知りえた真実は何かを語ります。
ズボラの条件を設定した
まず「ズボラ」という意味が曖昧なのでその反対語を中心に3つに定義しました。
以下のようになります。
①丁寧(大雑把の反対):細部まで配慮する性格や几帳面でまめに動作行動するさま
②規律正しい(怠慢の反対):ルールや規律をしっかりと守り整然と行動すること
③即時対応(先延ばしの反対):ものごとを先延ばしせず素早く決断・行動すること
この定義に基づくと「ズボラを失う要件」はリタイア後の時間の使い方において
①丁寧さが育まれた、
②規律正しさが育まれた、
③即時対応が育まれた、
といったことに該当する場合、ズボラ失格と判断できます。
これに基づいて自ら問い直しました。
リタイア後のズボラ度合い
リタイア生活における時間を使い方をそれぞれで振り返り自己分析しました。
大雑把というより丁寧
最近のリタイア生活は大雑把というより丁寧な配慮や行動をするようになっている気がします。
例えば、サラリーマンの頃からの「自宅で大雑把に管理していた重要書類」を挙げられます。
重要書類とは、銀行証券等の口座、クレジットカード、契約中の金融商品、不動産、年金、税金等々などの情報や原本などのことです。
今日も、そうした重要書類で保存が必要なものはデジタル化したり、種類別に区分けしクリアーファイルに入れたり、ラベルを作成して各ファイルに貼り付けたりしていました。
つまり、サラリーマンの頃はファイリングも大雑把、ラベリングも無しといった大雑把な管理をしていたわけですが、今は正直、細部まで配慮し几帳面にやってしまっています。
きっとサラリーマンの頃の習慣である整理整頓も、あるいは他人基準で考える習慣(資料の作り方から説明まで他人に分かりやすくする)など自分よがりなやり方よりは多少丁寧にわかりやすくが出ているのかもしれません。
でもそんな自宅の重要書類、サラリーマンの頃だってたとえ忙しくて丁寧な管理を放棄していたとはいえ、それでも必要なものは必要な時にすぐに取り出せました。
つまりサラリーマン時代も大雑把な管理をしながら必要なものを探し出せるという本来の管理目的は達成していたわけです。
すると「リタイアしたいま、そこまでの丁寧なファイリングやラベリングは過剰ではないか?」とも思いだしました。
なぜそれをするか??を更に自分に問い直すと「自分以外の人がみてもわかるようにしておきたい」という動機だと気づきました。
これは一種の無意識なる「終活」かもしれないと、はと気が付いたのです。
まとめると、サラリーマンの習慣から「大雑把」というズボラは消滅し、また更に年齢的なものか、独身生活での自分の重要書類ぐらい家族がみても分かるように管理するような配慮も必要と、そんな感覚や行動から、自分は脱ズボラ認定となりました。
怠慢というより自然体
怠慢さについても難しいところです。
まず怠慢というのは生活が不規則という意味合いで考えています。
ただ「怠慢」と「自然体」は紙一重で、例えば睡眠を例にとっても、目覚まし時計を使わず起きたい時に起きる(よって起きる時間は不規則)とか、眠い時には日中でも寝る(よって睡眠時間やサイクルも不規則)という習慣は、怠慢というより自然体と思っています。
怠慢というのは「さぼりてぇー」といって惰眠を貪ったりすることです。
実際のところ、僕は体のリズムに合わせて休息や睡眠を取りならも必要な行動を取っています。
日中、寝たい時に寝たりはしますが、毎日ジムで5キロ走ったり筋トレしたりといった習慣も欠かしません。
サラリーマンの頃はせいぜい週末の1~2日だけの運動でしたが、やりたい気持ちがあっても体力が追い付いていなかったのでしょう。
ゆえに結論は「怠慢」な要素はなく「自然体」としてズボラは消えて、やるべき良い習慣も積極的に取り入れるようになったと脱ズボラ認定です。
先延ばしせずに即時対応する
そして最後に、先延ばしの件です。
リタイア後は(というかサラリーマン時代から)何事も先延ばしをすることなく即時対応する習慣になってしまっています。
理由は明確で、大学生の頃は勉強が、サラリーマンの頃は仕事が前提でしたし、つまりは「望まない嫌なものごと」だったから先延ばししていたのです。
ですがサラリーマンの頃は「先延ばししたい」という気持ちがあってもそれをぐっと抑え、即時対応を余儀なくされてきたわけです。
そんなサラリーマン修行を通じ、先延ばし根性がすっかり刈り取られたわけです。
加えて、リタイア生活はそもそも先延ばししたくなるような「やりたくない」なんてモノゴトやケースはないので(だってそんなことは即時却下ですから)、なおさらズボラさが出現する機会がなく即時対応が目立つようになるのが構造です。
ただし新たな問題があります。
思いついたらすぐに行動に移すので、なんでもすぐに芋づるでやってしまい発散することです。
例えば今日の行動を振り返ると発散であり脱線がありました。
・棚の奥のファイルを整理中にマニュアル類が出てきた
・マニュアルの1つに「換気扇の操作」があった
・換気扇のメンテナンスのページをみて「油を取ろう」と思った
・重曹とお湯を使って油を浮かしてふき取る方法を調べた
・1時間かけてブラシや楊枝でフィルターの隙間まで掃除した
・おまけに「外注すると幾らだろう」とか調べだした
・3時間2万円(コンロ、お風呂、クーラーなど3点セット)だ
・ああ、時給6000円だったかと思った
なんてぐあいで、どうでも良いことを次々にやったり調べたりします。
気が付くとお昼になっていたという状況です。
でもそのおかげで換気扇のBEFOREとAFTERがこうもかわって気持ちよい結果を得られますし、また、掃除ノウハウも溜まります。
終わりに
以上、本来怠け者のズボラ体質だったゆえ、かえって「サラリーマン時代の修行(洗脳?)」を経て知らずうちにズボラは消滅しました。
3冠王だった「大雑把さ、怠慢さ、先延ばし」は全てタイトルを失い、非ズボラ体質になったというのが僕の結論です。
これは捉えようによってはサラリーマン人生から得られるメリットかもしれません。もちろん30年も費やさなくても得られるものではありますが・・。
そんなリタイア人生、思えばサラリーマンの時のような「目的を最短に達成する」といった効率性はまるでありません。
でもマイペースで気ままに対応する(発散もする)といった自由度にこそリタイアの日常がある気がしますし大切にしたいと思っています。
そんなリタイア生活の良さを言語化すると
「効率性より自分本位なる気まぐれを重んじる」
ということで、ズボラ卒業のような留年のような気がします!
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