先日、「60代で仕事を引退してはいけない」という記事を読みました。
70代まで働けというのかと記事を読むと、それは「生涯現役」を推奨する内容でした。
アーリーリタイアと対極の考え方ゆえ今日はそれを取り上げ自分の考えを整理しました。
ちなみに記事はAgora言論プラットフォームです。
こちらです。
セミリタイアは地獄の入口か?
筆者(黒坂岳央氏)が語るのは、
セミリタイアが地獄の入り口である事例は過去にいくつも取り上げられている。たとえば筆者が知っている事例ではFIREで暇を持て余した結果、やることがない虚しさと社会から切り離されている感覚に苦しんでいる人物がいる。彼は朝からずっとアルコール漬けでなければ正気を保てず、夜になるとベッドの上でひたすら泣き続けるといった不安定な精神状態である。
まず疑問に思うのは、セミリタイアをして暇であることや社会的孤立感から朝からアルコール漬けになったり毎晩泣き続ける精神不安をきたすのか?という点です。
僕が知る限り、暇を持て余してしょうがないとか社会的孤立が辛いという人はパートなり仕事に従事します。
アルコール漬けでなければ正気を保てないほどセミリタイアが苦難の道だというのは理解不能です。
それより自分に合わない仕事を無理に続けたり、ストレスの大きな職場で働くほうがアルコール漬けになる事例は多いと思えます。
60代ならなおさらフルタイムの仕事をせずにセミリタイア(パートなりをして生計をたてる)でスローダウンするのが自然です。
スローダウンもせずフルタイムで働き続けることを強制するほうが精神的にも肉体的にも疲弊すると思えます。
セミリタイアによる人格劣化について
筆者(黒坂岳央氏)が語るのは、
その他にもFIRE後にやたらと世の中に否定的になり、政治や社会に対して不満を垂れ流し、外食では店員さんに「早くもってこい」「底辺の仕事だな」と怒ったり蔑んだりと、人格の劣化が著しい事例もある。
こうしたカスハラなる事例がセミリタイアに起因するとも思えません。
セミリタイアが原因にカスハラが生まれるというより、それは高齢(加齢)によるもの(ホルモンバランスやいわゆる老害というもの)であると思えます。
そもそも60代でセミリタイア生活や完全リタイアをして生計を立てられる人のほうが、フルタイムで仕事をしなければ貧困に陥る人よりも社会に不満を抱いたり攻撃的になりにくい気もします。
仕事の意義について
筆者(黒坂岳央氏)のメッセージとしては、いきつくところは自分は起業し能力を活かせており、それをできる限り長く(生涯現役として)続けたいという点です。
自分は30半ばまで色んな仕事を会社員で経験した。一通り経験して会社員という働き方が自分は向いていないことを悟り、起業して今がある。・・「自分の能力を活用できる仕事にシフトしたい」と感じて起業した。・・何歳まで需要があるかは分からないが、できるだけビジネスの延命を努力したい・・特にこれから50代、60代と歳を重ねて、変化の早いマーケットから離れてしまうのは、取り残されてしまいそうで恐ろしい。・・ビジネス力のアンチエイジングの意味合いでも、仕事をやめるつもりはないし、他の人にも生涯現役を提案したい。この点はその通りだとは思います。
個人事業主、自営、あるいは法人化して仕事をするならば、利益を生み続けるためにも仕事から離れてブランクを作らずに継続するほうが望ましいでしょう。
ですがもしその立場にいたら年齢を重ねてマーケットに追従する能力が落ちる前に後継者を育てたり自分がいなくても回る仕組みを作ることに力を注ぎます。
「生涯現役でがんばる」という気合だのみにはしません。
能力の衰えを認識して準備するスタンスと、筆者のように「50代や60代で働かないと生活は地獄だ」とか「人格劣化する」といったスタンスで自分に言い聞かせ準備するのか、そうしたスタンスの違いかもしれません。
これは物事の見方や認知の違いゆえ正誤はありませんし、筆者の問題意識も理解はしています。
終わりに
やはり自分で仕事をする筆者のような30代の方とサラリーマンとでは、50代、60代の過ごし方に対する展望は違うのかもしれません。
そんなポジションの違いからこの記事に違和感があったのかもしれません。
僕の主張としては、やはり、自分の居場所や劣化しない生き方が「仕事にのみ存在する」かの考え方には賛同しかねます。
それよりも「自分の居場所や生き方は仕事以外にもある」との大前提で仕事に向き合うほうが、結果として良い仕事ができる気がしますし、「自分から仕事を引いたら何も残らない」というもぬけの老後を避ける出発点だと思います。
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