お盆休みを取り上げたテレビニュースで定番のインタビューがあります。
空港で旅行先から戻ったばかりの家族やカップルに「どのような休暇を過ごしましたか?」と尋ねるものです。
すると多くの人が「明日からまた”日常”に戻ります」とのセリフが出てきます。
サラリーマンにとっては仕事が日常、旅行が非日常、と明確な色分けできているわけです。
このセリフを聞きながらリタイア民の日常や非日常の感じ方の違いについて綴ります。
サラリーマンの日常と非日常
まずサラリーマンにとっての日常と非日常は明快です。
仕事が日常だとすると休暇(旅行)は確かに非日常と感じるわけです。
非日常と感じる要因を考えると3つあると思います。
それは、
①予測不可:旅行先での体験など予測できない部分が多い、
②感情多彩:旅行先で驚きや感動などの多彩な感情を伴う、
③新規価値:旅行先で新たな価値観や物事の解釈に出会う
というものです。
こうした旅行がもたらすものが普段とは違う「非日常」と感じるわけで、一方で仕事はといえば通勤、出社、仕事のこなし方も定型に近い「変化のない日常」と一判的にはなるわけです。
完全リタイア民の毎日の日々
では完全リタイアをするとリタイアの毎日が「日常」となるかと言えばそうでもありません。
個人差はあると思いますが、日常か非日常かを上記の3つを当てはめて考えると、
①予測不可:リタイア後の生活で新たな趣味や世界が広がることがある、
②感情多彩:リタイア後は仕事時間(一定時間、強制的に費やす)がなく感情豊かな体験ができる、
③新規価値:リタイア後はこれまでと違う価値観や物事の解釈に出会う
といったことでリタイア後の生活は僕にとってサラリーマン時代ほど「日常」とは感じません。
完全リタイア民の旅行の日々
ではリタイア後に旅行するとそれがサラリーマンの頃のように強烈な「非日常」を感じるかというとまた違ってきます。
もちろん旅行をするといつもと違った体験をします。
観る景色、滞在先の雰囲気、泊まる場所、外食が続くことなど、認知的には日常とは異なります。
ですがリタイア生活の日々がさほど「日常」という閉塞感もないので、それに対比されて旅行が「非日常」と落差を感じさせてくれません。
終わりに(結論)
結局、リタイア民の僕は個人的には毎日の日々も旅行先もほどほどの「非日常」だと感じています。
つまり(毎日の日々=やや非日常)x(旅行先=かなり非日常)ということです。
トータルで非日常の総量(=予測不能、感情多彩、新規価値)はサラリーマンの頃よりも大きくなった気がします。
それでいて心はストレスなく平穏を保つ日々なので、そうした心の平穏さのうえの程よい非日常の総量が居心地良いリタイア生活の構造成分だと思っています。
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