僕の人生では45歳前にFIREすることは絶対に不可能だったと思います。
たとえお金が十分にあっても「家族(元妻)がFIREに反対する」と思えるからです。
今でこそ独身FIRE生活の自由を謳歌するのが当たり前の状況ですが、その時点の自分からすると今の状態は「奇跡」と思うでしょう。
今日は45歳前にFIREは絶対にできなかった個人的な3つの理由を綴ります。
結論から言うと、①子供への影響、②生活リズムが合わない、③趣味や娯楽がやりずらい、というものです。
それぞれ説明します。
子供への影響
僕が45歳時点では2人の子供は小学生と中学生です。
仮に、その時点でFIREするのに不自由しない資産があって、生涯の生活費や子供の教育費の心配がなくても元妻は僕に「働いて欲しい」と言うのは見えています。
それは「働いていないお父さんでは子供に示しがつかない」という意味です。
なので僕が「個人投資家として在宅で仕事する」と主張しても、世間標準な生き方や世間体を気にするであろう元妻は「会社に行って家族を支えている姿を見せて欲しい」と言うでしょう。
それを言われると僕も合意すると思います。
これは「個人投資家のイメージが悪い」ということではなく、子供の学校やママ友、あるいは周囲の環境を総合的に踏まえると「FIRE」という体裁は理解されにくく、コミュニティーで余計な労力や配慮が必要となりうるからです。
子供の教育や成長を第1優先にして無理はしたくないという価値観は、これは僕も同意するところで、FIREを撤回しただろうと思います。
夫婦の問題でもあり子供を中心としたコミュニティーへの同質化という同調圧力なのかもしれません。
生活リズムが合わない
仮に僕が強引にアーリーリタイアをしたとします。
すると今のリタイア生活のように起床時間はイレギュラになります。
いつも定時に起きて朝からテキパキ動く元妻からすると「ありえない」となってストレス源になるでしょう。かといってFIREをしても毎日朝早くから起きだしていては自分にとってのFIREの意味は半減です。
あるいはサラリーマンのように同じ時間に家を出ておおかた夜遅く帰るというルーティンは、FIRE後に変化し、僕は自宅にいたり外出したりと不規則になります。
すると元妻としても食事の準備やら自分の予定やらが面倒になるので困ると言われそうです。
さらに日中から深夜のどの時間帯にジムに行くか一定しないと洗濯物も困る(決まった時間に洗濯をしたいし汚れたものを放置しておきたくない)と言われそうです。
こうした生活スタイルの規則性への拘りやストレスなどは個人差がありますし、どちらが正しいというものではありませんが、やはり対極だと思います。
結果、僕の不規則行動が、規則性が良いという相手にストレスを与える方が多くなりそうです。かといって僕にとってはFIREをしても規則正しい生活を続けて不自由な思いをするならばFIREの意義は感じません。
ということで、FIREをしてもFIRE卒業(生活リズムの不一致)と会社生活に戻りそうです。
趣味や娯楽がやりずらい
また今のリタイア生活の基本は趣味や娯楽を中心としています。
旅行に行ったり、スポーツをしたり、食事や飲み会に出かけたりといった時間の過ごし方をしています。
すると、子供がまだ受験やら勉強やらが中心の生活において、僕が好き勝手に旅行に行ったりスポーツをして遊び呆けていたら「ダメ親父」なる烙印を押されてしまいそうです。
すると僕としてもやりたいこともできないリタイア生活を自宅で送っていると、そんな暇を持て余して退屈でFIRE卒業となってしまいそうです。
終わりに
以上、子供がまだ小学生、中学生といった人生ステージでの夫婦関係や家族観からすると、僕がFIREしたいと主張しても、①子供への影響、②生活リズムが合わない、③趣味や娯楽がやりずらい、といった点で反対されたり、無理にFIREしても意味ない結果になりそうです。
というのが「45歳前にFIREは絶対にできない」と思う個人的理由です。
もちろん世の中には価値観や家族観が夫婦揃って一致し、幸せなFIRE生活を家族共に送っている方もいるでしょう。
FIREは自由度が高いだけに夫婦の価値観の「ずれ」が表面化しやすくなりますし、それゆえに夫婦の感性や価値観が一致していることが何より重要だと思えます。
こうして今僕は独身FIRE生活を呑気に送れていることはある種「奇跡だ」と感じます。
FIRE志向のある独身の方には「結婚相手との感性や価値観といった相性を過小評価しないように」と老婆心ながらメッセージとさせていただきます。
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