昨今、マイコプラズマ肺炎が蔓延しています。
これは細菌による呼吸器感染症なので患者の咳による感染リスクがあります。
なので家庭、学校、公共施設内などの閉所で咳をする人に警戒しているのですが、先日、図書館で「ゴホゴホ咳をしているのにマスクをしていない迷惑な老人」に遭遇してしまいました。
リタイア生活では不特定多数が集まる場所にいることも多く、そんな公共の場でのエチケットについて思うところがあります。
今日はそれを綴ります。
コロナ禍の状況と今の違い
コロナ禍を振り返ると、公共交通機関や特定の施設などはマスク着用が義務だったりしました。
なのでルールとしてマスク着用を順守する人がほとんどでした。
ですが今はマスク着用が義務はないので、マイクプラズマ肺炎が蔓延する昨今で、たとえゴホゴホ咳をしていても気にせず「マスクをしない人」もいたりします。
そんな老人と図書館で遭遇したのですが、マスク着用は個人の判断に委ねられているので、咳をしていてマスクをするかどうかは個人のモラル次第です。
ルール無しのモラル頼りの悪影響
こうした個人のモラルに頼る状況では個人差がでてきます。
当然、マスク着用ルールがないので個人のモラルとして気にしない人もいますし、図書館側の運営者もルール着用義務があれば注意するのでしょうけど、今は何も手を打ちません。
そうした老人がいてもなんら注意する素振すらありません。
それに最近は逆切れ老人もいるので変に注意すると危険かもしれません。
ニュースで騒がれる昨今、自分が咳をしながらノーマスクでも平気だという人は他人がどう感じるかを想像するのが苦手なわけでしょうし、そんな人に対して「マスクをするか人混みを避けてくれ!」なんて声をかけようものなら仕打ちを受けるかもしれません。
もし「どこにマスク着用なんてルールが書かれているんだ!」なんて正論を言われたら「モラル」を基準に戦うことになるので「個人の自由だろ」で最後は収まってしまいます。
ルールならまだしもモラルをもって相手にお願いはできても強制することはできないですからね。
ということで結局のところ対策は「ノーマスクで咳をする老人がいたらとっとと退散する」という行動を取るようになります。
老人に限らず若い人もいる
今回は平日の図書館だったので比較的若い人は少なくて滞在者は老人が多い環境です。
きっと街中のカフェにいくと若い人でもノーマスクで咳をしている人がいるかもしれませんね。
年齢や性別にかかわらずモラルは個人差がありますので、どんな人に対してもエチケットとして対処を依頼できても強制執行はできません。
終わりに
ということで、マスク着用義務がない今は「咳をまき散らす人から退散」を自衛策としてすんなりと受け入れています。
ちなみにコロナ禍の直後はちょっと複雑だったことを思い出します。
公共交通機関でもマスク着用義務がなくなった過渡期に「マスクをしない人は迷惑だ」といった旧来ルールにしがみつく人(ルールが無くなったことに適応しない人)がいました。
他人がマスクをつけていないと「配慮が足りない」と批判したり「マスクをせよ」と強要する人です。
つまり「マイモラル>社会ルール」と運用している人で、もちろん自分のポリシーで自身でマスクをするのは一向に良いわけですが、他人に強制するのは閉口します。
ルールが撤回された後は基本、着用義務はないので自分の体調が悪ければマスクをしたり外出を控えるよう各自が自重するのが何よりです。
モラルが無さすぎるのも、モラルが強すぎて他人に強制するのも、両極端すぎるのは残念です。
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