最近「闇バイト」で雇われた若者が民家に押し入って暴力や殺人事件を立て続けに起こしています。
閑静な一軒家の住人の方にとって「家の防犯」は大きな関心事になるなか、これがアメリカだったら「自衛のために銃を持とう」となるだろうなと思いました。
銃のある社会は悲劇も生むもので、ハロウィンの催しが都内で行われるなか、いまから30年前に起きた「悲しい事件」を思い出してしまいました。
アメリカに留学していた日本人高校生がハロウィンの仮装をしてパーティーに向ったところ、間違えて知らない人の家を訪問してしまい、その住人に強盗と間違われ銃で射殺されたのです。
今日はこの事件を少し綴らしてください。
(出典:SYOHIの会:http://www11.plala.or.jp/yoshic/y-frame-jp.html)
もはや日本も安全ではない
アメリカでの事件を語る前に、まず今の日本も「平和な日本」という神話が崩れる過渡期にいるのかもしれないことを説明します。
なにしろ最近の強盗事件は代理強盗です。
SNSで「簡単に稼げる」とアルバイトを募って個人情報を提出させ、モノを運ぶだけの簡単な仕事で大金をつかませ、その後に脅したりすかしたりで強盗の代理犯罪をさせます。
なのでテレビの映像で犯人を見てもとても犯罪者に見えない大人しい若者も含まれていますし、それこそが驚愕してしまう点です。
将来に夢を持てず人生を捨てた普通の若者が「失うものはない」と犯罪に手を染めていく、そんな裾野が広がりやすい地盤が今の日本にはがっつり存在すると思えます。
ですが犯罪は犯罪。同情の余地はなく厳しい刑で罰さないと抑止できません。ただ中枢の実行犯に辿りついて検挙をするのは容易ではなく「平和な日本」という神話を崩しかねない状況です。
アメリカなら世論はすぐに「銃を持って自衛しよう」となっているでしょう。
日本人留学生の殺人事件
そんな銃社会のアメリカで不幸な事件が起きたのは30年以上前の1992年10月17日です。
被害にあったのは当時16歳(高校2年生)だった名古屋市出身の服部剛丈さんです。
服部さんは交換留学制度でルイジアナ州バトンルージュにホームスティをしていて、そのホストファミリーの長男(同年代)と一緒に仮装してハロウィーンパーティーに向いました。
ただ運が悪く、その長男はパーティー会場とは違う家を間違えて訪問してしまい、その住人の夫(当時30歳)は2人を不審者だと勘違いし、服部さんを銃で撃ち殺してしまったのです。
この事件の悲しい点は、ホームスティ先の長男が地理的に不慣れで訪問先を間違えたこと、2人に銃を向けた家主が「フリーズ(Freeze=「動くな」」と警告したが「プリーズ(Please =「どうぞ」」と解釈した服部さんが笑顔で向かってきたので発砲したと証言しています(その証言や状況も論争になっていた)。
アメリカの陪審員制度で事件の正当防衛が争点になりましたが、やはりこの街の治安の悪さから陪審員12名(白人10名、黒人2名)全員一致で正当防衛として家主が無罪となりました。
刑事事件としてはこれで終わりましたが納得がいかない両親は民事に打って出ます。
民事では正反対の結果で損害賠償が認められました。
無罪となった家主についても民事裁判を通じていろいろな側面が露わになり(ガンマニアであるとか泥酔していた等も言われています)、どうもすっきりしない悲しい事件として僕の記憶に残っています。
「憎むより、愛情を」息子射殺された両親、30年経ても変わらぬ思い
犯罪についての争点などもWIKIにあがっています。
終わりに
日本では闇バイトによる代理強盗が増え続けたとしても銃を容認するような極端な社会にはならないでしょう。
ですが銃社会のアメリカは「19歳以下の死亡で最も多いのが銃」ともいわれています。
その事件後、服部剛丈さんのご両親は銃社会反対を訴え「アメリカの家庭からの銃の撤去を求める請願書」の署名を求め1年余で170万人となりました。
1993年11月、その署名を当時のアメリカ大統領であるビル・クリントンに面会して届ける、その両親がアメリカ滞在中にアメリカでの銃規制の重要法案である「ブレイディ法」が可決されるに至ったのです。
その後、ホストファミリーの長男は2022年に自殺をしてしまったそうです。
目の前でホストとして迎えた同年代の日本人が殺され苦悩の人生を歩んでいたでしょうし、心が傷みます。
今の日本ではこうした銃の悲劇は起きないとしても、未来に希望を持てない普通の若者は強盗事件に巻き込まれ、そして加害者ならびに被害者とも、銃ではなくとも人生が台無しになるわけです。
一刻も早く闇バイトの撲滅も願いながら、服部剛丈さんならびにホームスティ先の長男のご冥福をお祈り申し上げ、また、服部さんご両親や関係者の皆様に謹んでお悔やみ申し上げます。
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