会社を辞めて失ったものが5つあります。
それは、
①安定した給与収入、
②社会的信用や肩書、
③やりがい(仕事の達成感)、
④会社を通じた人脈拡大、
⑤メリハリある日々、
です。
アーリーリタイアから2年半が経過する今、それら「失ったもの」はもはや「気にするまでもない」と思うほど捉え方は変化してしまいました。
今日はそれを個々に綴ります。
なお、リタイア1年後の記事はこちらです。
安定した給与収入を失った
リタイア前は「給与収入が無くなる」というリタイア生活に不安がありました。
その不安は資産が目減りすることに関連していたと思います。
なので何度も収支シュミレーションをしていました。
ですが現実はリタイア後は資産はほぼ横ばいで良い意味で予測は大外れでした。
さらに2年半が経過し、個人年金、企業年金、公的年金などの受給開始が更に迫ってくると、いずれ給与収入に変わる収入が再開される感覚にもなり「安定した給与収入を失った」というのはもはや不安ではなくなりました。
社会的信用や肩書
社会的信用や肩書はリタイア後に失います。
だからといってこれは一切、困るものではなくなります。
リタイア生活の人間関係は自由に制御できるので、気心が知れた旧友から新しい友人で構成される人間関係となっていきます。
そこでは「社会的信用や肩書」といった「うわべ」なるものは人間関係の支えではありません。
逆にリタイアから2年半が経過し、そんな「うわべ」でつながっていた人間関係は淘汰されたともいえます。
なので自分の知識や経験値(友人が困った時に役立つもの)であったり、自分の生き方(早期リタイアしセカンドライフを楽しむ)を共感できる仲間とつながるわけで、そこには社会的属性や肩書という「うわべ」はさほど意味は持ちません。
すっかり社会的信用や肩書を失うことのデメリットは無くなりましたし、それどころかデメリットを受け入れず自分がうわべにこだわっていたら、こうはならなかったと思います。
やりがい(仕事の達成感)
この「やりがい」はリタイア後に失った5つのなかで最大のロスでした。
会社という看板と規模があるから社会に影響を与えるようなことができたわけで自分1人では微力すぎて何もできません。
なので会社を辞めるとそんな仕事の達成感は得られなくなるのは当然です。
リタイアから2年半が経過して感じるのは、それはたしかに最大のロスではありますが、仕事の達成感なんてしれてると思えることです。
会社を辞めず働いていたら今頃は3年単位の仕事の最終段階で仕事の成果も形になってくるころです。
そんな仕事の成果で得られること(想像)と、自分がリタイアをして実際に得たことを比較すると、リタイア生活で得られる成果のほうが自分にためになる「潤い」も「多彩さ」も溢れています。
ブログに書いてきた通り、新しい経験、資格、旅行も沢山し、知らなかった世界も広がりました。
なので「やりがい(仕事の達成感)」を失ったことを十分に補うだけの「いきがい」であり個人の成果を手に入れたと思うので、もはや会社という枠組みを通じてやれることを懐かしむこともありません。
会社を通じた人脈拡大
会社生活では仕事をしていると自然と人間関係は広がります。
それは良い面もあれば時に面倒だったりしました。
リタイア生活ではどのような相手とつきあうかは自分で決められます。
会社員の頃のような「人間関係を選べない」とか「仕事上は嫌でもつきあわないといけない」は無くなります。
それゆえ会社員の頃の方が量的(数的)には人脈の広がりは大きいですが、リタイア後のほうが質的な広がりとしては各段にあがっていると思います。
もはや数より質を高める生き方がセカンドライフには合います。
それと「嫌な人ともつきあう」ことで自分の受容力や多様性が高まるのはありますが、もはや30年のサラリーマン生活で十分にその鍛錬期間を終えたとも思います。
メリハリある日々
リタイア生活では「メリハリ」がなくなると思っていました。
それは会社員的な発想なのですが、職場への通勤で「しゃき」っとしたり、仕事の局面で緊張感があったり時間を忘れるほどに打ち込んだり、休暇はドンと休んだりといったメリハリです。
ですがアーリーリタイアから2年半が経過するなかで「メリハリ」の種類が変化していると感じます。
それはリタイア生活はサラリーマンの頃とは違って不規則で緊張感はさほどありませんが、例えば旅行であったり、友人の友人と知り合ったりなど、一定の非日常や刺激はあります。
それにそもそも「他社から強制させられることで生まれるメリハリ」なんてものを喜んでいたのがサラリーマン的感性だったと思えます。
仕事の緩急を自分のメリハリとするより、自分の興味や探求心から生まれる刺激や経験をメリハリとする方が、時間的なロスを感じることもなく主体的で居心地よい気がしています。
なお、会社で得られるメリハリを否定するものではなく、サラリーマン生活で自己抑制力や自己統制力として身に着ければ十分で、セカンドライフに会社のメリハリを求める必要は何もないと思えてきています。
終わりに
以上、会社を辞めて失ったものが5つである、①安定した給与収入、②社会的信用や肩書、③やりがい(仕事の達成感)、④会社を通じた人脈拡大、⑤メリハリある日々、といったものは、2年半が経過したいまは「ロスした」とは感じません。
どれも失って困るものではなく、また、リタイア生活なりの新たな切り口で補完されています。
社会的信用や肩書なるうわべより「知識や経験」が大事ですし、人脈拡大は数より質が重要で、メリハリやらやりがいはリタイア後の趣味の広がりやそれからうまれる変化で補完していくほうが自然です。
会社員の頃は「リタイアすると失ってしまう」とマイナス面を大きく捉えていましたが、リタイア生活を2年半も送ると「リタイア前は失うものに過剰に反応しすぎていた」と気が付きます。
やはりFIRE後も新しい道は開けていくものです。
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