FIREをして2年半が経ちますがいまのFIRE観はまた少し変わった気がします。
FIREは「経済的自立を得て早期リタイアする」という単なる通過点と感じています。
FIREの定義は各方面でされつくしていますし、別に、定義論をしたいわけじゃありません。
なぜなら人の数だけFIRE(の意味)があり、相互に尊重されるものです。
僕のFIRE観であって「他の方もこう思うべきだ」でもありません。
という前提で、今日はこのFIRE観(2024年10月時点)の備忘録とします。
結論、FIRE生活は身の丈に合った「楽しいもの」ということではあります。
FIREとは
サラリーマン人生を歩んだ僕にとって、FIREはつまるところ「経済的にサラリーマンという職業にすがって給与収入や社会的立場に依存せず、1人の自分として自由に生きる」というためのものです。
なので、FI(経済的自立)は自由に生きるために必要な経済的自立であって、実際、いろいろと自分の人生でやってみたいことや試してみたいこと、まだまだ知らないことを知りたいとも思います。
それゆえサラリーマンという他者からの「拘束」を取り外して自分の時間を最大にするのがRetire Early(僕の場合は完全リタイア)です。
経済的にも精神的にもなんら「拘束されない状態」を作りたかっただけです。
FIREは手段か目的か
なので、FIREはそんな経済的・精神的な拘束のない自由なる状態をもたらすものです。
それは手段とか、目標とか、結果とかというよりは、通過点だと思います。
FIは50代前には達成していたので、REも含めて双方が揃ったのが2022年3月末の退職日であり、それは僕には通過点です。
もちろんFIREは、人生で何かをする目的に意識を向けると「手段」と感じる人もいますし、「会社員はストレスの度が過ぎて抜け出さないと嫌だ」と思っている人にとっては「達成目標」ともなり、いろいろな意味であり顔を持ちます。
もちろん僕にとっても会社は「無駄な時間、無理な行動、無駄なルール」が多いなとは思います。でも会社が自分に幸福をもたらすパラダイスだと思って入社もしておらず、そんな感覚からすると労働は思ったより楽しめたり新たな発見があったり、嫌な人間関係も避けようもあったので、会社に恵まれていたのかもしれません。
なのでFIREが手段でも目標でもなく、単なる「通過点」というものです。
FIRE生活という用語
ではその通過点を過ぎるとそれは「FIRE生活」となるのです。
ですがそんな生活、つまり「経済的自立と早期リタイアで経済的・精神的に自由な状態」を得ることでどうなっていくのか想像ができませんでした。
なのでブログでも時々は「FIRE生活」とか「完全リタイア生活」と書きますが、その意図は上記の状態を前提にした「どんな生活なのだろう?」という疑問を感じながらの「生活」という意味合いです。
FIRE生活(今時点)でわかったこと
そんなFIRE生活での行動というかモチベーションは、大きな2つの区分けがあります。
1つは「自分がやらないといけないと思っていること」です。
これは言い換えると「やらないと後悔してしまうこと」でもあります。
それは自分を育ててくれた親やお世話になった人、やはり生活の支えになっているコミュニティーに孝行したり感謝したり恩返しすることです。
もう1つが「自分がやりたいと思っていること」です。
自分が健康で動けるうちに、自分のためにもっと知らないこと世界を知りたいですし、子供の頃から興味を持ち続けたことも触れ直してみたいと思ってやってきました。
FIRE以降の考え方
そんな経済的・精神的に縛られない自分が何にどう興味をもったかを振り返ると、前述の子供の頃からの興味のあることも多々やりました。
子供の頃から「死ぬってなんだろう」とか「宇宙のはてってなに」とか解けない疑問もいろいろあるわけです。
この謎解きは古代人も持っていて、それゆえ人間が生まれてから宗教が存在するわけです。
1つの宗教にハマっているのではなく、人間の世界観や宇宙観を知るという意味で宗教に興味をもちましたし、亡き父が残した遺物にあった「四国88箇所の納経帳」のやり残しを埋める興味も持ちました。
宗教に関連して生まれたのが「文化」ですし、それが形をかえるのが「歴史」というイベントで、それを残すのが「絵画」であり「写真」であり、それに深く関連するのが宗教以外に経済活動と感じるようになりました。
個々の小難しい学問というより統合された1つのものとゆるく考えて広く浅く理解し初めてます。
ルネッサンスから人文復興となって、また技術としては産業革命も何度もあるわけで、いまはIT革命で、そんな変化のある面白い時代にいると思っています。
終わりに
と、わけのわからない文章でいよいよFIREで頭がおかしくなったかと思われるかもしれません。
まあでも別に100%「FIREはこれだ!」と決めつけ注力しているわけでなく、FIRE生活は「任せるままにやってみたい」という余裕を持たせた状態で自分を解放状態にして様子を見続けています。
で、1つみたてきたのが自分は「楽しいことが好きだ」ということです。
楽しいこととはゲームをするとか、惰眠を貪るとか、そうした楽(らく)をして生きようということじゃありません。
楽をすること、楽しむこと、それはまるで違います。
加えて、お金があるから楽しめる、というのも違います。
僕よりお金があって生活になに不自由しない人は世の中に山ほどいますが、誰もが楽しく生きてるわけじゃありませんからね。
でも僕は自分の置かれたFIRE生活という身の丈で「楽しく生きる」をやってみたいだけに思います。
↓