今日はFIREが人生のリベンジとなるかを考えてみました。
結論、FIREは人生のリベンジにもなればリスタートになると僕は思っています。
なお、リベンジというからにはその裏には「勝ち組」と「負け組」があり、その敗者が勝者を「生き方」として打ち負かしたり凌駕するという意味です。
よってそこには個人の人生観としては幾つもの「軸」があって、それぞれある種の「勝敗」があるのだと思います。
そんな「軸」からみていきます。
勝敗の軸
社会での「勝ち組」と「負け組」といった分類はとてもファジーで個々人によって思い描くその「勝敗の軸」も違うと思います。
軸としては、①社会的成功(収入や地位)、②ワークライフバランス(家庭や趣味)、③精神的な成熟(人格や人間性)、④仕事のやりがい(社会的貢献や精神的充実)というジャンルを想定しました。
この各軸で勝敗があったとして、問題はFIREを達成することで敗者(あるいは弱者)が勝者(あるいは強者)を凌駕できるか?です。
個人的見解として、FIREにより時間的余裕やセミリタイアという働く方の柔軟性を得ればワークライフバランス(②)は優位となるでしょう。
また、FIREによる精神的余裕から精神的な成熟(③)も得やすいと思います。
仕事のやりがい(④)についてもセミリタイアをして自分が本来やりたい仕事に就けば優位になると思います。
ただ難しいのは地位や収入などの面で社会的成功を得ている人(①)に対し、自分がFIREをしたらリベンジできるか?です。
この点を掘り下げてみます。
社会的成功の観点での勝ち組
一般的に社会的成功を収めた「勝ち組」というと、
・知名度のある会社、高い収入、管理職や幹部などの肩書といったステータスを持つ、
・安定性が高い成長企業にいる、
・より大きな権力や権限を持っている、
などを思い浮かべます。
ただこうした勝ち組でありエリートは、一方で仕事を失ったりリタイアをすると落差のある転落生活に陥るかもしれません。
社会的成功の勝ち組はこうしたもろ刃の剣である面は否めませんし、そもそも社会的成功は未来永劫続くものでもありません。
社会的成功はもろ刃の剣
社会的成功を得た勝ち組は「苦難」と表裏一体です。
高収入で社会的地位も高いと、責任が重く、労働時間も長くなりがちです。
また、昇進や収入を優先するがゆえに本当にやりたいことを犠牲にしたり、大切に扱うべき家族や夫婦関係をないがしろにしている場合もあります。そして何より、社会的成功をもって自分の価値を測っている人は、いずれやってくるリタイアによってアイデンティティロス(自己喪失)になりかねないわけです。
長い人生でずっと社会的成功の明るい側を歩めるとは限らず、ちょっとしたつまづきで一気に暗い側の走行に陥るそんな不安定な「もろ刃の剣」であると言えます。
FIREによる人生リベンジ
こうしてみると、もろ刃の剣である社会的な勝ち組よりもFIREによる生き方は安定性があるように思えます。
・FIREで仕事に縛られない生活が可能となり収入や肩書に依存しない生き方を確立できる
・会社や上司の期待に応える他者基準の人生から解放され自分の価値観や興味に基づく生き方ができる
・勝ち組として忙しく働いている傍らで、自由な時間を持って自分の人生を楽しむことができる
・FIREによる時間的な自由をもって、旅行や趣味、家族との時間などを持てる
・社会的成功に囚われてそこから脱出できない勝ち組にはない「時間と自由の価値」を堪能できる
・収入や肩書きなどいつまでも存続しえないものの上に自分の存在価値を置かず、FIREによる自己実現のうえに自分の存在価値を置ける
ということです。
終わりに
以上、人生で必ずしも勝ち組にならずとも、FIREという手段によって勝ち組にも勝る独自の価値観に即した生き方で「人生のリベンジ」となりえます。
これはいま僕がFIRE生活を送るなかでも実感するもので、社会的に成功に囚われて働き続ける人が羨ましいともなんとも思いません。
今も頑張って働く同僚が社会的に成功すれば良かったねといった嫉妬ではなく応援なる気持ちだけしかありません。
僕の感覚ではFIREは勝ち組に対するリベンジというより勝ち負けなんて(意味のなく儚い)土俵から降りて人生をリスタートをする手段という感覚がしっくりきます。
もちろんFIRE民はFIRE民なりの適切な「マインド」や「修行」は必要ではあります。
FIREはこうしたリスタートにもなれば社会的な成功者へのリベンジともなりえる、そんな幅広い可能性であり人生の意味を引き出せる手段と思います。
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