世間では「使われないお金は無価値である」と言われています。
この「曖昧」な指摘を見るたびに「誰もが自分に都合良い解釈をしそうだ」と懸念があります。
そこで今回、僕が思いつく5通りの個別見解とその是非を綴ってみます。
1.経済循環説
まず「使われないお金が経済的な循環に寄与しない」というものです。たとえばタンス預金のように寝かせているだけのお金は、社会経済的な価値を生みません。
経済はお金の循環によって成り立っているので、例えばお金を銀行預金の普通口座に置いておくだけでも、それは銀行を通じて金融市場に流通することになります。
ということで、個人的には、お金を銀行預金にしたり投資することで循環経済に組み込むことは大事であり、タンス預金のような使われないお金は無価値だと思います。
2.貨幣価値目減り説
次に「使われないお金は(無価値というか)価値が下がる」というものです。
例えば前述のタンス預金や低金利の普通預金などではインフレによって実質価値が下がり、1年前の100万円で買えたものが今は100万円では買えないという貨幣価値が下がるという目減り説です。
使われないお金の保存方法として時に「使われないお金は価値が減る(無価値とはいわずとも)」というのは個人的には納得のいくもので、やはり無策にお金を置いておくのは価値減少をもたらすと思います。
3. 心理的安心説
更に「使われないお金が心理的に安心感を生む」という価値です。
万が一の医療費や予期せぬリスクへの備えとして「使われないお金」も、その存在自体が心理的な安心感や経済的安定をもたらします。
ましてはFIREによって給与収入がなくなるとその安心感をもたらす価値は更に増大します。
よって使われないお金も心理的安心感を生んで役立つという見解です。
4. 次世代への価値移転説
また「使われないお金が次世代への価値移転になる」というものです。
万が一、お金が使われずに終わったとしても、相続を通じて残された家族に役立つ可能性があります。
もし僕に家族子供が無かったとしたら、きっと自分が大事にしているものに寄付をすると思います。ちなみに身寄りがない場合の相続金は国庫に寄与することがディフォルトですが、国に戻ったところでいかに使われるかの使途がピンとこないので、自分に思い入れがあるものに寄付するほうがましだと思うからです。
よって使われないお金も次世代への価値移転にすれば役立つという見解です。
5.人生の可能性説
そして最後に「お金を使わないと自分の人生を豊かにすることができない」というものです。
これが本来の「使われないお金は役立たない」という本流なる主張かもしれません。
お金は人生を豊かにするための手段で、お金を使えずにただ蓄えているだけであればお金の可能性は発揮されません。
旅行や趣味、教育など、お金を使うことで得られる経験や喜びはお金が動くことでしか生まれません。
お金を活用して人生を楽しむという意味では「使われないお金は無価値」と言えると思います。
終わりに
以上、「使われないお金は無価値である」という提言は一見合理的に思えますが、経済循環、貨幣価値の維持、安全資産としての意義、未来への価値移転、人生の可能性など、様々な側面を含んでいます。
自分が多面的な視点でみればお金の価値も多面的になるという、いわばお金は自分を反映するツールなのかもしれません。
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