世の中には「ブランド品を持つなんて見栄だ」というムードがあります。
特に「節約は美徳」とするFIRE界隈ではなおさらブランド品は批判の的かもしれません。
先日、僕の友人が投資で成功した資金を使って外車を購入しました。
それが彼にとても良い状態をもたらし、僕も嬉しく感じたのです。
ブランド品を持つことは必ずしも見栄というものでもなく、時に、自信を吹き込み前向きに生きる力を人に与えることもある。
そう感じた友人のエピソードを今日は綴ります。
尊敬できる友人からの報告
僕は彼のことを尊敬しています。
機転が利くし周囲を気遣いながら楽しませる会話がとても上手です。
そうした地頭の良さやレスポンス力は僕には真似できない能力であり彼の魅力です。
そんな彼が投資を頑張っていたのを知っていましたし、少しずつ結果が出てきたのも彼自身の努力の賜物です。
そして先日、その彼は「投資で成功したから外車を買ったよ」と嬉しそうに報告してくれました。
そのときこうも言ったのです。
「今まで自分の経済状況に引け目を感じていたけどこの外車を持つことでようやく自分に自信がついたよ」
尊敬は経済状態とは無関係だが
それを聞いた瞬間、僕は本当に嬉しく思いました。
彼は仲間のなかで自分の資産が少ないことを引け目に感じていたのは、ずっと以前から感じていました。
僕は彼の経済的な状況に関係なく、その能力や人間性が素晴らしいと惹かれているのです。
でもそれを僕が言ったところで、彼自身が感じる引け目が解消されるものでもありません。
それをわかっていたのでずっと触れずにいました。
ですが今回、外車を買ったことがきっかけで、彼はその「経済的に引け目を感じていた」という感情を明かしてくれたのです。
ブランド品を買うという意味
ブランド品や外車を買うという行動は人の価値観によって幾つも理由があります。
見栄で買う人もいれば、実用性(性能や機能)、感情的記念(昇格とか目標達成などのご褒美)、自己表現(ブランドのフアン)など、理由は多岐です。
彼の場合、投資で上手くいったという記念でありご褒美なわけですが、大きな2つの意味があると感じました。
努力の成果を実感した
高価なものを手に入れるにはそれなりの経済力や努力が必要です。
彼は「自分はこれを買えるだけの経済状態になった」と実感しその成功や達成感を自分で実感できたわけです。
つまり「購入したブランド品」で自分の存在価値を背伸びして作りたい意図ではなく、それを手に入れることが可能になったという資産増大の成果を自分の自信に繋げただけです。
モチベーションの向上
また、外車を所有することは彼のさらなる成長や勇気の原動力になっているようです。
会話のなかでも「資産は増やせるのだと実感してきた」と自信と意欲が湧いているのも伝わります。
もしかしたら「お金で自信を得るなんて浅はかだ」という潔癖症なる批判があるかもしれませんが、でも、努力と忍耐で得たお金を使って得るものなら、僕はそれを否定はしません。
終わりに
世の中には「ブランド品を持つなんて見栄だ」とか「お金で自信を得るなんて浅はかだ」という批判は理解しますが、このエピソードから、ブランド品を持つことが必ずしも批判に該当するマイナス面ばかりではないと感じます。
ブランド品は、時に人を前向きな生き方に変える「モノの価値を超えた可能性」もあるわけです。
もちろん僕は彼が外車を持とうが持てまいがに関係なく尊敬しています。
ただ彼自身が自分の経済的状況に引け目を感じていたわけで、それは僕にはどうにもしがたいものでした。
それが彼が外車を買ったことがきっかけに、彼に自信と人生を楽しむ変化をもたらし、そして彼と僕の間にあった「腫れ物」を簡単に取り除いたのです。
こう考えると、モノの値段以上の価値を彼にもたらし、更には僕らの友情の距離が縮まったという、嬉しいエピソードです。
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