なぜ、完全リタイア後はパート労働が無理か?を検証した

2024-12-20

アーリーリタイア生活

t f B! P L

完全リタイアをしたいまは短期で手軽なパート労働もできないと思ってしまいます。

本当は、経験していない分野で働きながらお金を得るのは新たな発見やらメリットはあると思いますが、それよりも労働的環境(時間の拘束、責任、上下関係、仕事を覚える等々)への抵抗感だと思います。

そんな心理を2つの分野、8つの観点から分析してみます。

2つの分野とは「労働環境側の問題(労働への抵抗感)」と「リタイア生活側の維持充実」というものです。

労働環境側の問題

完全リタイア後に簡単な仕事でも嫌だと思うのはその「労働することそのもの」への抵抗感に関連するというものごとで、①スケジュールの束縛、②働くことへの心理的抵抗、③労働環境への適応が面倒、④「働く価値」の喪失、を取りあげます。

①スケジュールの束縛

リタイア後の生活で最大の喜びは「何事からも強制されたり縛られない」というものです。

それゆえパート労働であっても出勤日や勤務時間に縛られることは自由を侵害され「仕事」という時間的制約を受けるという負荷を感じてしまいます。

まったくのフレックスで好きな時にふらっと働く自己判断でできるなら良いのですが、やはり自分のスケジュールを他者に奪われてしまうような感覚がストレスになります。

②働くことへの心理的抵抗

また、完全リタイア生活に入ると「労働の世界に戻ること」そのものに強い心理的抵抗があります。

完全リタイアで他者の評価とは無縁の日々だと、たとえパートタイムなどであっても「きちんとやらないといけない」という仕事の遂行や時間順守などの責任感を全うしてきちんと期待通りに業務をする、そんな煩わしさです。

そうした感覚を負うことの心理的抵抗があって労働市場そのものに「戻りたくない」という感覚が湧きます。

③労働環境への適応が面倒

パートやアルバイトとはいえ、必ずそこには新しい仕事を学ぶために上下関係があったり人間関係に配慮するなど、慣れない職場環境への適応も必要です。

そうした上下関係、新しい仕事を覚える不安、マニュアル通りの仕事ができるかなど、労働環境に適応できるか不安というか面倒だと思ってしまいます。

④「働く価値」の喪失

完全リタイア生活を送り出すと、お金や社会的つながりといった意義のため仕事をする理由もなく、そもそも「働くこと」に対する意味や価値が薄れてしまいました。

もちろん働くことで人間関係が広がったりこれまでの仕事とは違ったスキルや経験はできるのかもしれません。

ですがそうしたことも「パート労働をしながら」得る必要性は感じることができず、やはりたとえ短時間でも働く価値そのものが自分には薄らいだ状況になっています。

以上、①~④は「労働的環境」であり労働側に焦点をあてたものです。

リタイア生活側の維持充実

一方、自分のリタイア生活の維持充実(現状の生活を変えたくない)に焦点を充てたものとして、⑤リタイア時間の価値に見合わない、⑥他の活動が優先、⑦収入への無関心、⑧「やらない贅沢」の味わい、をみてみます。

⑤リタイア時間の価値に見合わない

FIRE後の時間はお金に換えられないほど貴重です。

今のリタイア生活も、必ずしも時間を無駄なく過密にすごすスケジュールを組んでいるわけではありませんが、それでも少額の収入のために自分の時間を犠牲にすることは合理的に感じられません。

とはいえいまはDIYなどがもっとできれば良いとは思う機会があり、そうした大工的な仕事をパートでやることで勉強にもなるのかもしれません。

なのでまだ自分の生活の時間価値を守りたいというのが優先中ですが、興味に即した仕事があればやらないでもないとは思います。

⑥他の活動が優先

完全リタイア生活は自由なる時間は多めにはあるものの、やはりその時間を優先度の高いもの(趣味や旅行など)に費やしたいと思ってしまいますし、まだ手を出せていないこともあります。

前述の通り、決してタイトに日々のスケジュールは過ごしていませんが(そんなハイピッチは不要ですが)、それでものんびり過ごすなかで、ゆえわざわざパート労働を追加して生活をさらに忙しくするより他の活動を優先する、そんな優先順位の問題もあるかもしれません。

⑦収入への無関心

完全リタイア生活では、月次で資産推移を把握するなどで経済面での行き詰まりがないかは定期点検をしています。

こうした月次推移として問題が無いと、経済的理由であえて収入を必要とするような動機は生まれません。

こうして「わざわざ時間を割いて働かなくても生活は安定しているし・・」という安心感が労働意欲を低下させています。

とはいえ、仕事をしながらネットで調べものをやれるといったような拘束の緩いバイトでお金が貰えるなら、やらない理由もないとは思います。

⑧「やらない贅沢」の味わい

また、長年働いてきたうえでのFIREでもあるので、こうした今の「何もしない」という贅沢を楽しんでいたいとも思います。

働かないこと自体が新たな価値観というか豊かさの象徴のようなものなのか「働かないでもよい贅沢」は正直感じています。

ただ、そうした感覚も別に労働が嫌でないならば拘るほどのものでもありません。

終わりに

以上、完全リタイア後は、手軽なパート労働すら嫌だと思う理由を2つのジャンル、8つの観点から分析しました。

やはりその理由は、労働的環境側の問題(スケジュールの束縛、働くことへの心理的抵抗、労働環境への適応が面倒、働く価値の喪失)が大きな理由です。

一方、リタイア生活を働かずに維持充実させる関連(労働はリタイア時間の価値に見合わない、他の活動が優先、収入への無関心、働かない贅沢)は相対的なもので、もしかしたら労働側の問題が嫌(というマイナス)でなければ受け入れるかもしれません。

なお、僕の場合はサラリーマン時代は仕事は嫌ではありませんでしたしそこそこやりがいがありました。それでもひとたび完全リタイアをすると仕事を再体験したくはなくなります。

この教訓としては、働いている頃は働いているがゆえに「リタイア後、何かあれば仕事に戻れば良い」と軽く考えがちであるということです。

やはり「完全リタイアするとパートでも働くとことは嫌だ」という障壁は大きいもので、僕の場合は、現役時代に想定したより「20%ぐらい割増し」したハードルの高さを持っていて、ちょうど良かったのかもしれません。


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自己紹介

2022年3末に完全リタイア。FIREの自由で創る”自分らしいセカンドライフ” としてFIRE-Driven Lifestyle Innovationをテーマに、日々の気づきや経験を発信して精神的に豊かなFIREを応援します。
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