今年のクリスマスは平日です。
真昼間から時間に融通がきくアーリーリタイア身分ゆえ、やはりこんな時は母親を平日ランチに誘って親孝行でもしようと思いたちました。
ですが結果、何ともいえない寂しい(でもほっとする?)クリスマスデーになるとは思いもしませんでした。
そんなエピソードを綴ります。待ち合わせ
寒さで家に閉じこもり気味の母親をランチに誘ったのは昨夜のことです。
物忘れが多いので、今朝の9時過ぎに電話をして待ち合わせ場所を再伝達しました。
これで安心だと時間通りに待ち合わせ場所に行ってみると母親は現れません。
しばらくして母親の携帯や自宅に何度か電話をしてみました。
すると呼び出し音が鳴りっぱなしです。
そこから30分、何度電話をしてもつながらず「まさか実家で倒れているのでは」と心配になり小走りで実家に駆け付けました。
実家を訪ねて
実家のドアを合鍵を使ってドキドキしながら開けるとつっかかることなくすんなり開きました。
その瞬間すぐに「留守だ」とわかって安心をしました。倒れているとかで在宅ならば鍵を開けてもドアガードが引っかかって開かないはずだからです。
でも疑問は残ります。
「いったいどこに行ったのか?」と。
物忘れで待ち合わせを忘れる
母親は待ち合わせ場所を間違えたのだとと思い、再度そこに戻ってみたところでちょうど母親から着信がありました。
「いまデパートで買い物しています」と……。
どうやら自宅を出ると今日は少し暖かいとわかり急に遠出をしたくなったと。
それでバスに乗りデパートに行ってしまったと・・。
なぜ僕との待ち合わせで外に出たのにそのことを忘れてしまったのか???
そんな疑問が浮かびますがこれが軽い認知症なのかもしれません。
一つの情報(「暖かいなあ」)が入るとそれまでの情報を忘れてしまうのでしょう・・。
ランチをどうするか
母親に再度待ち合わせ場所を伝えましたが今度は「遠出して疲れた」との返答が。
無理をさせるわけにはいかないので今日はランチを取りやめることにしました。
結果として僕が振り回される形になりました。
でも母親に事故があったわけでもなく、僕自身も小走りで動き回ったので運動代わりになったと考えれば「まあよしとしよう」と思えてきました。
ただお腹は空いてしまい予定していたレストランで一人豪華に遅めのランチを食べようかと考えました。
でも、なかなか決断できず悩みます。
結果は
豪華なランチを一人で食べても意味がありません。
そうこう悩んで歩いているとごく自然に「吉野家」に吸い込まれてしまいました。
滅多に一人で外食をしませんし牛丼を食べるのも久しぶりです。
昔は300円台だったのが随分値上がったなと思いながらも500円以下の並をオーダーしました。
食べ始めると少し雑な感じのお肉はどこか懐かしく昔はよく食べたな~とノスタルジアに浸ってしまいました。
ただ節約のために入ったわけでもありませんしなぜ吉野家だったのか? と考えてみました。
吉野家の理由
やはりこれは昔よく通っていたチェーン店であり「久しぶりに入ってみよう」という懐かしさが大きかったのだと思います。
豪華な食事にはそれなりの特別な魅力がありますが、一方で昔から慣れ親しんだ味は「懐かしさ」と「安心感」があります。
それに、豪華な食事は「味わってやる」とどこか気負ってしまったり、味自体も複雑だったりします(貧乏根性なのかもしれませんが)。
ですが牛丼は「何も考えずに美味しい」という「シンプルな満足感」があって、それが昔の体験も思い出しながら心に響きわたるのかもしれません。
終わりに
ちなみに今回はドタキャンを経験したわけですが、もし自分が若い頃、彼女にドタキャンされたとしたら、その場合は吉野家ではなく「一人で豪華なランチをやけ食い」したと思います。
ドタキャンによる失望や怒りの感情を豪華な食事で自分を慰めながらバランス取ろうとするからです。
今回、母親の物忘れという点もありますが、それに加えてFIRE生活の「平穏な思考習慣」から「その程度の落胆なんて大したことない」と思ったり、豪華さよりも「ノスタルジックな心地よさ」で折り合いをつけるほうが落ち着くのですよね。
とドタキャンやら痴呆やら少し悲しいクリスマスは懐かしい味とFIREの平穏マインドで折り合いがついたというエピソードでした。
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