ベストセラー書籍の「DieWithZero」でも議論となっている 「お金を使い切らずに死ぬのは働き損か?」という問いに対し、自分の答えを考えてみました。
結論から言うと僕の答えは明確にNOです。
その理由は主に3つを綴ります。
働くことの目的はお金だけではない
そもそも「働き損」と捉えるか否かは「働くことの意味」が左右すると思います。
僕にとって働くことの意味は収入を得る目的だけではなく、何もできない自分が社会で通用する知識やスキルを身に着けたり、尊敬する人に出会ったり、何かを成し遂げて嬉しかったりといったこともありました。
よって、お金を稼ぐこと以外に働くことで得たものがあると思えると、お金を使い切ることができなくても「働き損」という発想自体が生まれません。
つまり、お金を使い切らずに死ぬと働き損かといのは、まずは仕事観が左右すると思います。
お金を使い切ることは目的ではない
FIRE(Financial Independence, Retire Early)を達成した後は、僕は自分の価値観に沿ってお金を目一杯使っていっています。
目一杯といっても贅沢三昧で遊興費に使うことではなく、趣味や旅行、その他、自分が本当に大切にしたいことに使うことです。まさに実行中です。
ただ、実際のところお金を使うこと自体に時間や労力が必要で、浪費しない性格の自分にとってお金を全て使い切るのが難しいとも感じます。
数万円をかけて語学教室に行っても、その予習やクラスでの勉強などかなりの労力が必要なわけで、やれ豪華な旅行だミシェランレストランだとお金をパーっと使うわけでもないのでお金を使うには時間もエネルギーもかなり大きいと思います。
そうした「自分が納得できるお金の使い方」をしていると、さほど「お金を使い切らなくては」なんて考えも浮かばず、それでも居心地よい日々が続きます。
余ったお金にも価値がある
自分の寿命がいつまでかわからないなか、お金をゼロまで使うことはそもそも困難です。
なので収支管理をしながら、お金が枯渇することなくある程度の余裕を残しながら、適切にお金を使うことになるわけです。
そうした「お金の余力」を持たすことに対し「安心」と思うか「無駄」と思うかも分かれ目となる気がします。
僕の場合、お金の余力があるほうが経済的な安心感を得られれますし、また仮に、お金が余ってもそれは家族や次世代に渡すことで自分に使うことと同等の意味にはなります。
お金は全て自分のために使わないとダメだとか未練があるともなければ、使い切らないと「働き損だ」とも思いません。
終わりに
以上、お金を使い切らずに死ぬことは僕にとって「働き損」ということはありません。
働く過程で得られた経験や充実感、使い切れなくてもお金が生む安心感や他者への継承など、損得を超えた価値があると感じています。
そして同時に、「お金を使い切らずに死ぬと損」というのはどこか「お金に囚われた生き方」だと感じます。
やはり自分にとっての人生の目的はお金を使い切ることではなくて、「自分の価値観に沿って生きることで後悔のないこと」だからです。
お金はあくまで手段であり脇役という存在です。
こう考えると「お金を使い切らずに死ぬと損か?」というのは、僕にとってYESとかNOではなく、「どうでも良い」というのが自分なりの本当の答えなのかもしれません。
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