FIREから2年以上が経ったいま「会社に戻ること」は到底考えられません。
その理由は3つあるのですが、今回はその2つめ(第2回目)として「お金より時間が大事だ」ということを綴ります。
なお「時間が大事」といっても単に「怠惰な生活からリカバリーするに時間がかかる」とか「通勤時間がもったいない」といった時間効率が問題なわけではありません。
それよりも「リタイア後の価値観の変化」といった深いところからくるものです。
時間に対する価値観(時間をどのように感じ、どう生きたいか)というレベルで「時間を大切にしたい」という思いから会社には戻れないと感じるのです。
今日はそれを綴ります。
リタイア後に時間と初めて向き合う
結論をいえば、仕事を中心とした生活から解放されたリタイア後、時間と人生の意味をじっくり吟味することができ、完全に会社に戻れなくなりました。
これは皮肉なことですが、自分の時間を大事にしようとFIREを目指し、そして貯蓄や投資に励む(あるいは仕事に励む)ことで、実は時間(自由)のことを十分に考えることからかえって遠ざかっていました。
でもそれは仕方のないことです。サラリーマンの時代は資産形成期でもありそれに集中することが重要だからです。
リタイア後、はじめて自由な時間が大量に生まれ「自由な時間をどう使うか」とようやく時間と真剣に向き合ったと思います。
時間の「所有感」は増えたと思う一方で、ふと「人生の残り時間は少ない」と時間の有限性も認識したりしました。
リタイア後に感じた時間の疑問としてこうした記事も書いています。
まず、サラリーマンの頃の時間感覚に対する価値観の変化をみてみます。
サラリーマンの頃の時間感覚
サラリーマンの頃も時間を粗末にしていたわけではありません。
ただリタイアした今と大きく違うのは、求めていた「質」がまるで異なる点です。
サラリーマンの頃に重視したのは「時間単価」という考え方です。
同じ時間をかけるならより効率的にお金を貰えるほうが質が高いというものです。
なので年収というのは1つの基準で、年収が高ければ高いほど「効率が良い」と感じました。
いわば時間の質を「お金で換算」していたわけです。
リタイア後の時間感覚
ですがFIREによって貯蓄と資産所得で生活を送るようになると、自分が直接的に「お金を稼ぐ」必要もなく、より時間の過ごし方や経験に目が向きます。
モノを増やすよりも「豊かな時間をどう過ごすか」を考え、消費よりも体験や過ごし方を基準として注目するようになります。
そして「何をすると自分が一番ハッピーにいられるか」といったことが時間の質を評価するうえで重要になり、言い換えると、それは自分の価値観を基準に時間の質を考えているともいえます。
その内容は人によって違うと思いますが、僕が行きついたのは、趣味、家族や大事な人との時間、恩返し、内面的な充実や自分を知る、自己成長(リタイア生活を豊かに過ごすためのスキル)といったものごとです。
時間の質の捉え方は、お金の換算は一切なく、全て自分にとってハッピーか?というものになりました。
するとサラリーマンのような時間感覚(=お金で換算する感性)は絶対に戻れないと強く思うのです。
サラリーマンに戻れない合理的理由
おそらく「嫌な仕事でもなく働いていながら年間でそこそこ収入を得るなら、仕事を辞めるはずがない」と考える人はいると思います。
でもそういった考え方に固執するかぎり、僕がいま感じている感性は理解できないと思います。
まず、誰もが時間とお金という2つの資源を使って体験であったり何かを得ています。
時間を何もしないで過ごし続けたり、お金も使わず持ち続けていても何も変化はありません。
なぜなら時間もお金も何かに変換可能な資源であり、資源は使ってこそ意味があるからです。
それゆえ、僕が今さらサラリーマンに戻れない背景は、しっかりとした①経済合理性と、②探求心を満たす所要時間(有限時間)、があります。
「時間<お金」での経済合理性
この時間とお金という資源について、それは有限でもあるので、僕のような年齢になってしまうと「時間<お金」という構図になります。
それは、残りの人生の時間と今のお金を使って「自分が程よく幸せと思える生き方」をしていくとして、お金と時間のどちらの資源が先に枯渇するかといえば、それは「時間」です。
ちなみにこれは自分の実験によって検証をしています。仮説は「支出にブレーキをかけず ”やりたいこと” をやり尽くせばリタイア生活は豊かだと感じるはずだ」というものです。
とことんお金を使え!の実験と目標達成状況(2024年上半期)
つまり、今ある資源のうち大事に扱うべき保護対象は「時間>お金」という構図なわけです。
にもかかわらず、なぜ仕事をして自分の時間を浪費枯渇させ、お金に変換しなければいけないのか?
と、経済合理性がないわけです。
おそらくこう言うと「だったらお金で時間を買えば良い」という人もいるかもしれません。
それも誤りです。
いくら自分のお金を使い時間を作ろうとして、例えば、掃除のアウトソース先を調べても、その時間そのものが無駄なわけです。
やるならとっととアウトソースするかやらないか、の2択であって、わざわざ恰好をつけて「どうやってお金を時間に替えるか」なんて考えたり行動したりしていても、それは自分の1つの銀行口座から別の口座にお金を移す資金移動でウダウダしているのと同じです。
なんら総資金が増えるわけでも口座外へ投資して資産増加の可能性を高めるものでもありません。
自分の資源内の移動を1つのポケットからもう1つのポケットにしていても意味はありません。
世界を隅々まで知り尽くす所要時間
そして2つ目で挙げた探求心を満たす所要時間(有限時間)です。
これは、「自分の探求心を満たし尽くす」のが今の自分の持つ「時間とお金」という資源を投じて得たい目標です。
せっかく今の時代に生まれてきて、今の時代から見渡せるいろいろなものがあるので、それを見尽くしたいという好奇心です。
ですが世界は広いので自分の時間が先に枯渇してしまいます。
世界を知る方法は2つあります。
サラリーマンの頃は会社を通じてこそ知り得るさまざまな世界はあったと思います。
会社の看板をつかって社会のいろいろな情報にアクセスできたり、仕事に関連した知恵や考え方で新鮮な驚きを持ったり、完成度の高いノウハウに辿り着けてびっくりしたりはありました。ですがそれが世界の全てでもありませんし、資本主義という枠組みで動く世界のほんの一部だったと思います。
ですが知りたい世界はまだ広いのです。
世界各地(地理)であったり、地球の自然や日本の四季(自然科学)、過去の出来事(歴史)、絵画や物語(書籍、映画)、音楽、スポーツなど、触れてないこと体験して感動したりなるほど~と思いたいことは山ほどあります。
すると、会社生活で時間を使うより残り少ない自分の時間とお金を自分の好きに投じた方が、会社に勤め続けていることで知りえる世界より、もっと広く深く知れると思うのです。
つまり、「会社に戻らないこと」が時間とお金の投資効率を最大限にでき、会社に戻ることはこの合理性に逆行し、時間のロスであり探求エリアの縮小になってしまうのです。
終わりに
以上、リタイア後の価値観の変化によって深いところから「時間>お金」といったものを感じ、もはや会社に戻ることで時間の質の面でも、世界を広く知る量の面でも、会社に戻ることの合理性は感じません。
僕に限らずきっとリタイア後に「お金より時間が大事」と気づく人は多いと思います。
そんな方の多くはご自身の価値観の変化を受けてそう思っているはずで、僕は前述の理由であり内容に辿り着いただけです。
残酷なことですが時間は有限で、お金のような貯蓄性もないので、人生の本質的な意味を問い直して「時間をどう生きるか」の解をより早く持たないと、どんどん時間は無駄に消費されてしまいます。
かといってリタイア後も時間効率を求めタイパやコスパばかり追いかけて「時間効率が良い」なんて勘違いを続けると、生涯、資源としての時間を効率よく豊かさに変換できないと思えるのです(サラリーマン時代はタイパやコスパは重要ですが)。
リタイアから2年以上経った今は、タイパやコスパに合理性や豊かさを感じませんし、それよか、どこかゆったり過ごしているなかに豊かさを感じる、なんとも不思議な感覚です。
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