FIREによってサラリーマンなる規則正しい生活から完全リタイアなる不規則な生活を送るようになりました。
ですが不思議なことにかれこれ2年以上も不規則な生活をしていても心身ともにとても健康です。
疲れやすいとか睡眠の質が落ちるといったこともありません。
直観ではありますが、不規則な生活でも健康を維持できる理由が3つほど思い浮かび、それは、①柔軟性がもたらすストレスの低減、②不規則だからこそ刺激的、③内発的動機で行動、というものです。
今日はこの「なぜ、FIRE後の不規則な生活でも健康なのか」について綴ります。
柔軟性がもたらすストレスの低減
規則正しい生活リズムを維持すると、一見、健康には良いというイメージがあります。
ですが僕の場合、そうしたリズムに縛られること自体がストレスになると気づきました。
例えば、決まった時間に目覚まし時計に起こされ、食事をし、運動するなんて規則正しい生活を目指すと、自分の気分や体調に逆らって何かをやるということが増えます。
それが自分にとっては大きなストレスにつながります。
実際のFIRE生活では、朝は目覚ましもかけずに目覚める時に目覚め、ジムに行くのも午前だったり夕方だったり。体調が優れなかったり疲れていれば日中でも夕方でも迷うことなく寝てしまいます。
こうした「自分に強制することなく体調や気分によって自由に生活すること」が規則正しさで得られるものごとより、僕にとってはよりプラスになっている気がしています。
不規則だからこそ刺激的
規則的な生活リズムを手放すと、新しい経験や活動に自然と目を向ける機会が増えます。
例えば、平日に突然思い立って何かの調べごとに夢中になって食事も抜いたり、あるいは夕方から何かの映画を観ると深夜まで止まらなかったり、あるいは知らない場所に突然散歩に行くなどです。
そうした予測できないスケジュールをとっさに作ることもあり脳に新鮮な刺激を与えてくれる気がします。
不規則というのは、裏を返すと一定習慣で何かをやるマンネリ化を防ぎ、変化に富んだ生活を楽しむことができている気がします。
こうした刺激は心身ともにプラスの活力になっています。
内発的動機で行動
そして最後に、不規則というのが無秩序というものでもないということです。
毎日、時間的な流れは不規則かもしれませんが、実は一貫して一定に保っているものがあります。
それは自分(の気分、興味、好奇心)にそって生活リズムが決まることです。
自分がやりたいことがありきなので、何か映画を観て感動したい時もあれば、手料理をあれこれ試したり、調べものに没頭したり、主役はあくまで自分(のやりたいこと)という内発的動機が一貫して行動を決めています。
なので「時間割(スケジュール)」が自分より上位にあって規則性を保つというより、「自分の気分、興味、好奇心」が上位にあって行動を支配しています。
すると時間観点で不規則であることはさほどどうでも良い問題です。
終わりに
規則正しい生活が良いと妄信し、それを自分に強いることが正しいとは限りません。
僕にとって規則正しさは「ストレス、マンネリ感、時間に支配された状態」を生むだけで、かえって不規則に過ごすことで「ストレスの無さ、刺激、自分優先」を作れています。
個人差はあるかもしれませんが、不規則なるFIRE生活も恐れずに試してみる価値はあるのだとは思います。
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