人生はどのステージにおいても周囲からの「期待」というのを受けています。
でもその期待は合理的で状況に即したものではなくて、むしろその逆であるとリタイア生活で感じるようになりました。
サラリーマン時代は会社の目標達成を強いられる一方で「自己実現を目指せ」と言われます。アーリーリタイア後は「働かないなら何か社会貢献すべし」と社会圧を受けますが、それはリタイア後というより会社(仕事)を通じて社会の役に立つほうが合理的です。
この矛盾は何なのか?ということを掘り下げてみました。
サラリーマン時代の矛盾:自己実現と会社目標の乖離
会社員時代、やはり何よりも組織の目標達成は最優先でした。
もちろん会社組織で働く以上、求められる「利益を上げる」とか「プロジェクトを成功させる」といった目標を受け入れてそれに全力で取り組むのは当然です。
しかし一方で「自己実現を目指すことが大事だ」とも言われ続けました。
自己実現とは自分が本当にやりたいことを追求することです。なのでそれを会社の目標と並行して達成せよというのは難しいどころか矛盾しています。
会社の目標に従う限り自分の本当の価値観や夢を追求する時間や自由は限られてしまうわけで、矛盾はそこから来るのですが、これは上司が善意で助言している構図ではありました。
もし上司と人間関係としてそりが合わない相手だったらきっと「何を言ってるんだ!」と思ってしまったでしょう。真意としては「目標達成に十分に自分なりの価値を見出せ」ということではありましたが。
リタイア後の矛盾:社会貢献への過剰な期待
アーリーリタイアをした後は、自分の時間をどう過ごすかは自己決定権があります。
事実、サラリーマンの頃のような目標を押し付けられることもありません。
ですがこの日本社会ではリタイア身分でも(ましてはアーリーリタイアだと)「働かずにプラプラしてないで社会に貢献しろ!」といった道徳観であり同調圧力のようなものを感じます。
それはよくあるボランティアや地域活動に参加するなどのことでしょう。
しかしそもそもサラリーマン時代に会社で働いていたこと自体が最も効率的で効果的な社会貢献ではなかったでしょうか?
会社が存続するのは社会が会社を受け入れて何らかの利便性を享受しているからです。そうした会社の社員として仕事をすることは、つまりは社会に価値提供をすることになるわけです。
にもかかわらず、リタイア後にも新たな形で社会貢献を求められるのは過剰な要求です。
とはいえ僕は自分の楽しみや興味を追求する時間を沢山取りつつも、一部は寄付なり日々の行動で社会貢献は意識はします。
でもそれは自分の判断でやるもので強制されてやるものでもありません。
目標不一致:人生ステージにそぐわない要求
このように人生の各ステージにおける「周囲からの期待」と「そのステージにおいて達成しやすい目標」には乖離があります。
サラリーマン時代には自己実現よりも会社の目標に集中する方が合理的ですし、リタイア後は社会貢献よりも自分自身の満足や楽しみを追求する方が自然です。
ですがこうした不一致が生じる背景には、社会の(というか日本特有の)「真面目さ」のようなカルチャーがあると感じます。
終わりに
以上、「自己実現」や「社会貢献」といった美しい言葉がパワーワードとなって、人生のステージごとに周囲の期待に縛られその期待を達成しようともがくのでしょうね。
こうした目標不一致という矛盾から驚くべき真実がわかりました。
それは「誰もがその期待を真剣に考える必要などなかった」ということです。
社会的な期待も自己実現という理想も、実は他者や時代が作り上げた幻想でしかなく、人生の本当の自由とは、それらの期待を手放し、自分の感じたままに生きることにあるのかもしれません。
そうした術を体得するのはFIREなのかもしれません。
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