FIRE(経済的自立&早期リタイア)をすると「感謝の気持ちが強まる」という法則があると感じます。
そう感じたのは、あるスーパーでカート整理に奮闘する高齢スタッフを見た時のことです。
今日はそんなFIRE民である僕が経験した出来事で、なぜ、FIRE後は感謝を持つ変化が起きるのかを感じられたことを綴ります。
邪魔なのになぜか心地よい行動
ある日、スーパーで買い物をしていると、高齢の店員さん が放置されたカゴやカートを整理していました。
夕方の混雑時、多くの客がそれぞれ不規則に動く中、そのおじさんは、客の流れを一切気にせずに空いたカートをどんどん片付けていました。
僕がちょうど買い物カゴを取ろうと手を伸ばした瞬間、彼は 「我先に!」 とばかりに、雑多に重なっていたカゴを素早く整理し始めました。
その時は、「僕が取ってから整頓すればいいのに・・」とは思ったのですが、おじさんはとにかく 1秒たりとも無駄にしたくない という勢いでカゴを整えていました。
以前の僕なら「もう少し周りを見て動けばいいのに」と嫌な気持ちになっていたかもしれませんが、そうしたひたむきな仕事ぶりに 「頑張ってるなぁ」 という気持ちが先に湧いてきます。
なぜこんなに印象が違うのか?
サラリーマン時代との視点の違い
僕がサラリーマン時代に経験していたのなら、「仕事の効率」や「サービスの質」という観点で見ていたでしょう。
具体的には、
・「お客さんの動きを止めてまで仕事するなんて、目配りができていない!」
・「社員の教育が徹底されていない証拠だ!」
と、企業目線での評価や観点でみてしまうと思います。でも、FIREした今はそんなことを微塵にも思いません。
むしろ「目の前の仕事に一生懸命な人だ」という個性を尊重できるようになっています。
顧客対応がどうこうよりも、「この人はこの仕事に誇りを持って真剣にやっているなあ」といったところが気になるのです。
ある意味、以前なら気にも留めなかった 「働き方の多様性」 に気づけるようになったのかもしれません。
完全リタイアとの対比で生まれる引け目
また、こうした気持ちが湧く深層心理には、完全リタイアしている自分の「引け目」 なのかもしれません。
僕は今、健康でありながら働いていませんし、社会に対して、労働力としての貢献はなんらしていません。
もちろん、「これまで人並み以上に働いてきた」と思う気持ちはあるわけですが、とはいえ自分より年上のおじさんが自分の仕事に愚直に向き合う姿を見ると、「申し訳ないなぁ」 とか、「すごいなぁ」と同時に 「ありがたいなぁ」 という感謝も感じます。
FIRE後の「感謝」が生まれる生活
これはスーパーの整理整頓係のおじさんだけではありません。
FIRE後は、日常で出会う働く人々を 観察し、どこか積極的に感謝する気持ちが生まれている気もするからです。
例えば、
・笑顔で接するウェイトレスさん
・車椅子の出入りをサポートするバスの運転手や駅員さん
・駐車場の出入り口で、人の流れを見ながら車を誘導する警備員さん
サラリーマン時代はそうした仕事をする場面をみても「当たり前」と感じるか、もしくは目に入っていても何も感じていなかった気がします。
ですがFIRE後、彼らの姿が 「当たり前の人」から「ありがたい人」 へと変わっています。
FIREは、ただ「自由な生活」を楽しむだけではなく、こうして 「社会の一員としての視点」 を持つようになるのは、ある意味、FIREの副産物なのかもしれません。
終わりに
以上、FIREをすると感謝の気持ちが生まれる相関を考えたのですが、もう1つ感じたことがあります。
それは、忙しい日々では自分に精一杯で、周囲の働く人への関心も気遣いもなかなか起こりにくかったということです。
そんな多忙な社会で失われがちな 「社会に対する優しい心」は、FIREをすると、案外、取り戻せるわけで、その意味でFIREには感謝しています。
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