FIRE(経済的自立と早期リタイア)がもたらす「自由」について、実は、世間では大きな混乱があると感じています。
多くの人が思い描くのは、「会社の拘束から解放された自由」です。
出社の義務も、時間の縛りも、組織のルールもない、そんな「解放感」をFIREのイメージとして持つのは自然なことかもしれません。
ですが、FIRE生活をじっくり味わっていくと、もう一つの自由に気がつくことになります。
それは、すべてを自分で決めて生きていける「自己決定の自由」です。
今回は、この2つの自由を整理し、それがどう共存し、どんな奥深さを持つのかを綴ります。
2つの自由の定義
まず、2つの自由の定義をしてみます。
拘束から解放された自由
「拘束から解放された自由」とは、義務やルールなどの外部的な制限から解き放たれた状態です。
会社で働く中で自然と受け入れていた、出社、目標達成、評価、上下関係、会議、飲み会といったあらゆる側面で拘束があります。
FIREによって、これらから解き放たれることは、ひとつの大きな自由(=解放)です。
自己決定の自由
一方の「自己決定の自由」は、自分の意志で何をするか、何を大切に生きるかを選択し、自由に設計できる自由です。
いつ、誰と、どこで、何をして過ごすのか。
都会に住むか地方に住むか。まったりするか活動的に過ごすか。誰と関わるか、誰と関わらないか。
これは解放よりも内面的な自由で、時間とともにじわじわと実感が深まります。
2つの自由の相関~2層構造
この2つの自由は、まったく別の種類というより、緩やかな時間軸と階層的な構造を持っています。
FIRE達成の直後は、まず「拘束からの解放」が訪れます。解放感は、その拘束の強さや期間の長さに比例し大きく感じます。
それゆえ僕も、2022年3月末にリタイアしたあと、数ヶ月は解き放たれたように遊び呆けていました。開放感に浸り、自由な暮らしを満喫していたのです。
やがてその解放が“日常”となってくると、次に立ち現れてくるのが「自己決定の自由」でした。
長年遠ざかっていた趣味を再開したり、資格を取ったり、旅に出たり。
サラリーマン時代には選ばなかった「今の自分が本当にやりたいこと」をあえて選択して生きていくことを始めます。
これは、「解放の自由が土台にあるからこそ、サラリーマンからの解放の反動で現役時代にはやらない物事をあえてやる」といった、相互作用のある、積み重なる構造です。
2つの自由を自在に配分する「上位の自由」
そして今、僕が強く感じているのは、この2つの自由を自分なりに配分するという“さらに上位の自由”があるということです。
誰もが、この自由を同じように使うわけではありません。
のんびり自然の中で日々を過ごす人もいれば、僕のように、少し刺激が欲しくなって自由投資予算をつくり、空き家をDIYしたり、お遍路をしたりといった「自己プロジェクト」に取り組む人もいます。
大事なのは、この「解放」と「自己決定」という2つの自由を、自分なりの感性や価値観に応じて「適切なバランスで配分すること」だと感じます。
ちなみに僕にとって、「解放:自己決定 = 20:80」がちょうど良い価値バランスです。
終わりに
FIREの自由は、決して「気ままな毎日」だけではありません。
自由は2つの種類があり、拘束からの解放という外的な自由と、自己決定という内的な自由の掛け合わせです。
そして、そのバランスを自分で決めることこそが、FIREの真の醍醐味ではないでしょうか。
自由に溺れることなく、自由を使いこなす。
そんな感覚こそが、FIRE後の人生をより深く、持続可能に、そして自分らしくしてくれるのだと思います。
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